先客万来 悩みが一つ   

                                     イラスト 山城隆一


 亘さんと千秋さんが結婚して、かれこれ10年が経つ。
少年のように熱い心の亘さんと、のんきでお人好しの千秋さんの生活は、
いつまでたっても、おままごとをしているように見えた。
 ガラス越しに春の訪れを感じる三月のある日、
そんな二人の生活にちょっとした変化が起ころうとしていた。
 亘さんが、突然仕事を辞めるといいだしたのだ。
しかも、なんと、これから温灸師の資格をとるという。
かって暴走族だった頃にスリップ事故を起こして以来、
長い間、腰痛で苦しんでいた亘さんは、仕事先で温灸師に出会った。
 よどんでいる血液の流れをうながし、内臓機能を活発にするという温灸。
体の内部から自力で治すというのが合ったのか、
亘さんの頑固な腰痛が、めきめき回復していった。
どうやらそれが、一念発起して温灸の資格を取得することにつながったらしい。
 物事にこだわらない千秋さんは、基本的に亘さんの考えには、いつも賛成だ
「おもしろそう、やってみれば」
「資格をとるまでの二年間、どうして食っていく?」
「ふたりでアルバイトすればいいわ。しばらくは失業保険もあるし、
切り詰めればなんとかなるって」
 千秋さんは、いつも気楽だ。
「そうだね、なんとかなるよな」
というわけで、ふたりは、また学生夫婦のような生活にぎゃくもどりした。
 人体学を学び始めた亘さんは、どうせなら温灸師だけではなく
鍼灸師の資格もとろうと欲が出てきた。
もちろん千秋さんは、二つ返事で賛成だ。
 温灸・針・指圧の資格をいっぺんに取得しようと思うと、アルバイトなどしていられない。
ということは、千秋さんの収入だけに頼らなければならない。
 衣料費・娯楽費は使わないとして、毎月決まって出て行くものは、
家賃・光熱費・月謝だ。削るものは食費しかない。
千秋さんは、大安売りのじゃがいもがあれば、箱で買ってくる。
とたん、少女のような千秋さんの頭の中は、じゃがいもでいっぱいになる。
その日から、千秋さんの作るメニューは、
明けても暮れてもじゃがいも料理だけになると。
 じゃがいもの煮っころがし、ポテトスープ、マッシュポテトのマヨネーズあえ、
じゃがいものバターいため、じゃがいも蒸しパン、じゃがいも入りおかゆ……。
 たまねぎを二盛りいくらで買ってくる。すると、明けても暮れても、たまねぎばかり。
オニオンスープにオニオンスライス。カリカリオニオン、オニオンピラフ。
てんぷら、炒め物……。
 亘さんは、毎日がじゃがいもでも、たまねぎでも、
文句をいわず、実においしそうに食べる。
そして、千秋さんの工夫をほめる。
休みの日には、二人で散歩もするし、図書館で本も借りてくる。
友達のバイクで遠乗りすることもある。
アパートの前の空き地に、花や野菜を作る……。
切り詰めた生活の中で楽しみを見つけるこつを、ふたりはよく知っていた。
周囲の心配をよそに、亘さんは二年後、
ついに温灸師と鍼灸師の見習い資格をとった。
見習というのは、最低一年間、どこかの治療院で実習をしなければならない。
それからあとは、自分で治療院を開くつもりだ。
「あと一年だ、がんばろう」
ふたりは、それぞれがんばった。
アパートの一室で、念願の治療院を開くことになったのは、
去年の十二月の始めのことだった。
にこにこ健康堂。
亘さんと千秋さんの人柄にふさわしい名前だ。
しかし、実際は、にこにこなんかしていられなかった。
開院当初は、何人かの知人親類が、景気付けに治療を受けに来てくれた。
が、肩こり、疲労ていどの治療は、一回すればそれでおしまいだ。
そのあと、お客さんがぱったり途絶えてしまったのだった。
だれもが忙しい師走の時期に、時間をもてあまして、
ぽつんと窓の外を見ている亘さんを、千秋さんは、かわいそうで見ていられなかった。
(あんなにがんばって資格をとったのに)
千秋さんはもういちど、手書きの案内状を、特に親しい友人たちに送った。

開院したものの、
さっぱりお客さんが来ません。
夫の腕は、とてもいいのです。
お疲れの時は、ぜひ、
にこにこ堂をご利用ください。
           千秋

すると、友人たちから、つぎつぎ宅配便が届いた。
開けてみると、どれも招き猫だった。
みんなで七匹もの猫どんが並んだ。
大きいの、小さいの、中ぐらいの。
右手をあげているもの、左手をあげているもの、おじぎをしているもの。
中には、ねそべって居眠りをしているふきんしんな猫もいた。
「あら、この子は金色の鈴をつけているわ。このちびちゃんは赤いりぼん。
まあ、あんたは、二個も千両箱をかかえているのね。ごくろうさま」
猫好きの千秋さんは、どれもかわいくてたまらない。
「でもね……」
千秋さんはため息をつきながら、猫どもにいった。
「あんたたちが置物でなく、ほんもののお客さんだったら、
もっと、もっと、よかったのにね」


もう、夜の九時をすぎた。
ついうとうと居眠りをしていた亘さんは、ぐーっとのびをした。
今日も、お客さんはゼロ?
いいえ、これから一人、大事な予約のお客さんがあるのだ。
そのお客さんは、千秋さん。
ほんとうだったら、ここで受付をしているはずの千秋さんは、
ちょっとばかり当てが外れて、近くのファーストフードの店でアルバイトをしていた。
十時に疲れて帰ってくる千秋さんの体に温灸をかけてほぐすのが、
亘さんの仕事というわけだ。
「ぜいたくね、お抱えの鍼灸師がいて」
千秋さんは、毎晩そういってありがたがる。
一日にたった一人、それも無料のお客さん。
それでも、ないよりかはまし。
「よーし、おふろにお湯をいれて」
亘さんが立ち上がったとき、玄関のチャイムが鳴った。
(お、千秋か。今日は早いな)
ドアをあけると、そこに立っていたのは、千秋さんではなく、
背中の曲がったおばあさんだった。
「こんなに遅くにごめんなさいよ。うわさをきいたもんだからね。
いえね、こちらの温灸がよくきくってね」
亘さんは、うれしくって、叫びたい気持だった。
「さあさ、どうぞおあがりください」
亘さんは心を込めて、おばあさんの体に温灸をかけた。
「どこか、具合の悪いところはありませんか?」
「いえ、べつにね。ただ年のせいか、背中が丸くなってきてね、
一度、思いっきり、のびがしてみたいもんだね」
おばあさんが動くたび、体のどこかで、ちりちりかわいい音がした。
「ああ、ほかほかいい気持だった。ありがとう。また、一週間後にお願いしようかね」
「は、はい、ありがとうございます」
予約までしてくれるなんて、なんといいお客さんだろうと亘さんは思った。
おばあさんと入れ違いに、千秋さんが帰ってきた。
「千秋よろこべ、今、お客さんだったんだ」
「ほんとうに?」
「そのへんで、おばあさんに出会わなかったかい?」
「いいえ、だれにも」
「おかしいなあ、出て行ったところなんだよ」
「あら、この鈴は?」
「あ、もしかして……」
亘さんは、おばあさんが体を動かずたびに、ちりちりといい音がしていたのを思い出した。
「さっきの、おばあさんの鈴だ」
「追っかけなくっちゃ」
「いいんだ、あずかっておこう」
「あずかっておくって?」
千秋さんは、首をかしげました。
「一週間後に、またきてくれるって」
「まあ、ほんとうに?」
ふたりは、抱き合ってよろこんだ。


翌日、千秋さんはアルバイトに行く前に、いつものように、
順番に招き猫の頭をなでていた。
「千客万来。きょうこそ、お客さんがどんどんきますように、おねが……」
……しますといいかけて、千秋さんは言葉を飲んだ。
いちばん左はしにいた大きな招き猫が、反対のはしに入れ替わっていたからだ。
「おかしいわね、亘さんが入れ替えたのかしら」
元に戻そうとした千秋さんは、猫の首に鈴がないのに気がついた。
金色の鈴をつけていたはず……。千秋さんは治療室にとんでいくと、
あわてて引出しをあけた。そして鈴をつまみあげた。
「まさかと思ったけれど……。まちがいないわ」
鈴を猫の首につけながら、千秋さんは目をぱちくりした。
招き猫の背中が、みょうにしゃんとしている。
「どう? 亘さんの腕はたいしたものでしょ?」


それからというもの、七匹の招き猫たちは、
毎晩、おじいさんになったり、娘さんになったりして、
入れ替わり立ち替り、順番に亘さんの治療を受けにやってきた。
そのたびに、りぼんを忘れて帰ったり、
棚に戻ってから、右手と左手を上げ間違えたり、
だらしなくねそべっていた猫なんかは、温灸をしてもらって元気になったとたん、
しゃんと座っていたりするものだから、
千秋さんは、亘さんに気づかれないように元に戻しながら、ひやひやしていた。


そうこうしているうちに年も明け、年末の疲れをいやす人で、
にこにこ健康堂は、けっこういそがしくなっていった。
亘さんの心のこもった治療は、一度訪れたお客さんを逃さなかった。
 今では、受付の仕事に大忙しの千秋さんだったが、
それでも毎朝、招き猫たちとおしゃべりするのを忘れたことはない。
「きょうも千客万来、どうぞよろしくお願いいたします」
招き猫たちは、今でもお客さんにまじって、ときどき治療を受けている。
いつかこのことを亘さんに話そうと思いながら、
千秋さんは、まだ話せずにいる。
話したとたん、ただの招き猫になってしまうような気がして、
どうしても話せないのだ。


亘さんも、千秋さんにいいそびれていることがあった。
(きょうこそいおう、いや、あしたこそ)
そう思いながら、なかなかいえないでいる。
(千秋のやつ、びっくりするぞ。いや、もしかしたら、
おれの頭がおかしくなったって、心配するかもな。
あの棚の招き猫が順番に、おれをはげましにきてくれてるって、話したら)
考えてみれば、亘さんが気がつかないはずがないのだ。
だって、骨格が猫と人間とでは全然違うわけだし、だいいち、猫たちは、
一度も治療代を払ったことは、ないのだから。
「なんせ、置いていくのは『おあし』ではなく、『おあし跡』だけなんだから」
亘さんは苦笑した。
先客万来。
今やその夢をかなえた亘さんと千秋さんには、悩みは一つ。
招き猫たちのことを、いつ打ち明けるかということだ。


(おやおや、きょうは君の番なのかい)
亘さんは、おかしかった。
順番を待っていたのは、いかにもだらしない中年のおっさん。
そう、それは、ぐうだら猫の化身だった。
(よしよしまかせなさい。温灸をかけりゃ、いっぺんに体がしゃんとするからな)
亘さんは、心の中でつぶやいた。
一方、受け付けの千秋さんは、ため息をついていた。
治療後、しゃきっとしたぐうだらさんを、またねそべらすには、
けっこう骨がおれた。
(亘さんに打ち明けてみようかしら。でも……)
千秋さんがいつものように悩んでいると、診察室になっている六畳間から、
亘さんの話し声がきこえてきた。
「疲れやすいのは、血のめぐりがよくないから。多分運動不足のせいですね。
はいはい、わかっていますよ。しっぽの先まで温灸をかけておきましょう」
(しっぽのさきですって!)
千秋さんは治療室をのぞいてみて、びっくりした。ぐうだらさんが、
招き猫の姿のままでねそべっていたからだ。
どうやら温灸をかけてもらって気持がよくなって、ついうとうと。
とたん、にゃん力が落ちて、元野の姿に戻ってしまったらしい。
亘さんは千秋さんをみると、にんまり笑ってウインクをした。
千秋さんは、ちょっと驚いたように目をみはり、
親指と人差し指で輪を作り、了解の合図を送った。
これで、ふたりの悩みは一気に解決した。


千客万来、悩みもなし。めでためでたのにこにこ健康堂は、
きょうも予約客でいっぱいだ。
すっかり大忙しになってしまった亘さんと千秋さんは、休む間もない。
そんなふたりをほっとさせるのは、順番を待つお客さんの中に、
妙にすましたおばあさんや、目玉がくるりとかわいい娘さんを見つけたときだ。
ところが、お客さんの間で噂が立ちはじめた。
「さすが、にこにこ健康堂さんだね。招き猫まで姿勢がいい。
背筋がしゃんとのびている」
「どれどれ」
わざわざ招き猫を見にくる人もいる。
「おや、たしかこの猫、前はねそべっていなかったかい?」
(やばい)
(ばれたかしら?)
亘さんと千秋さんは、気が気ではない。
そんな二人の心配をよそに、招き猫たちは、すきをみては、
入れ替わり立ち替り治療を受けにくる。
あいかわらず千客万来、悩みが一つのにこにこ健康堂であった。





 

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