近況(創作)
公募入選作品
童話ミニ講座

 
     

 
授賞式と出会い
 とんぼパーティ 創作いろはかるた





童話作家への道
    
だのおばさんからある日突然……、ではなくて、いつしかじわじわ。
                        そして、まだまだ……、遠い道。
    
  
行き止ま」こそあっても、「近道」はありません。
                  
  迷い道/坂道/戻り道/暗い道/回り道/険しい道……

寄り道」? め、めっそうもない! あきません。  


「今日から、ママのことを作家と呼んでね」
 たった五枚の作品だったが、いきなり公募の大賞をとったときはうれしくって、小学生だった二人の娘に向かって、思わず叫んだものだ。
「作家とちごて、錯覚ちゃうか?」
 今思うと、夫のこの言葉はいい得ていた。公募に入選しつづけていたら、そのうち認められて作家になれると思っていたが、それはまさに錯覚だった。
 いったいどうすれば、憧れの作家になれるのだろうか? さっぱりわからないまま、公募にチャレンジしつづけていた。
 福井県勝山市主催の恐竜文化大賞に私の作品『モモイロハートそのこリュウ』が選ばれ、副賞として出版されることになったのは、童話を書き始めて五年が経っていた。やっと本になると思うと、とてもうれしかった。『モモイロハートそのこリュウ』は、けっこう活躍してくれて、椋鳩十賞の最終審査の六篇にも残り、そのご縁で、長崎県の読書感想文コンクールのテーマブックにも選ばれた。
 が、それがきっかけとなって、出版社から声がかかるということは、皆無だった。
同人に所属していない私は、自作の童話を発表するのに、
今まで通り公募を続けるしかなかった。
 一年ほどたって、ある公募の表彰式に出席のため、東京に行った。そのついでに、『モモイロハート……』を出版してもらった出版社を訪ねたところ、帰りぎわに「書けたら、また見せてください」といわれた。とびあがる思いで、某コンクールで予選通過していた『灰色のバス』という短編を八十枚にふくらませてあった作品を送った。
 ところが夏が終わり、冬がきて、年が明けても、何の連絡もない。勇気を奮い起こして電話をしてみると、「未だ読んでいません」という、そっけない返事。そんなものかと思いつつも、がっくりしてしまった。
「あの作品はおもしろいよ、他をあたろうよ。作品引き上げますって、電話しなさい」
 気落ちしている私に文章教室のY先生がアドバイスをしてくれたのは、出版社に作品を渡してから十ヶ月もたった五月のある日のことだった。
思い切って電話をかけた。
「あのお、『モモイロハートそのこリュウ』の沢田俊子ですが、
以前にお送りした『灰色バス』……」
「あ、あれね。出版することになりましたよ」
 電話の向こうから聞こえてくる歯切れのいい東京弁。あまりのあっけなさに、実感がわいてこなかった。
六月に手直しするように電話があり、八月初めにフロッピーを送った。
九月には『本』になるという。
 ところが、十月になってもその気配がない。問いあわせると「絵待ち」だそうだ。
『灰色バス』が『灰色バス変身大作戦』となって刷り上ってきたのは、十一月も半ばを過ぎてからだった。病の床に伏せながら、本が出来上がってくるのを楽しみにしていた母……。待ちきれずに亡くなってしまった母の遺影に「本」を供えながら、一か月早くあがればと、残念でならなかった。
 錯覚のままで終わりたくない。子どもたちへのメッセージがある限り書き続けて、いつの日か、「童話作家」と呼ばれるようになりたい。


                         (児童文芸1999年5月掲載)

★「モモイロハート……」、「灰色バス……」を出していただいた出版社は汐文社。
その後、何度も声をかけていただき、
私を育てて下さった大切な大切な出版社である。

 ★年内には10冊目の単行本が出る予定だ。いつの間にか童話作家と呼ばれるようになり、カルチャーセンターで童話講座の講師をさせてもらっている。
童話作家になろうと思って書いているみなさんへ。
     夢、願えば叶う。自分を信じてたくさん書いてください(2005年5月)。           

 トップに戻る