約 束             



 あと三日、いよいよ帰る日が近づいてきた。
 地球を離れて一週間、史上初の少年宇宙飛行士としてのぼくの任務は、最終段階に入っていた。宇宙日誌をつけながら、ぼくは、クラスの友達とのことを思い出していた。とても気が重かった―。

「おーい、大変なニュースがあるぞ」
 担任のグッチこと山口先生が、紙切れをひらひらさせながら、教室に飛び込んできたのは、一年前のことだ。
「宇宙への家族旅行の実現に向けて、ナサが地上初の子ども宇宙飛行士を一般公募しているぞ」
 グッチが最後まで言い終わらないうちに、クラス中にどよめきがおこった。
「どうしょう、おれ、抽選によわいんや」
 剛が椅子をぎしぎしいわせて、ふりかえった。
「おまえはアホか。商店街やあるまいし、宇宙飛行士決めるのに抽選なんかするか。テストがあるに決まってるやろ」
「えー、ほんま?」
「ほんまや。それにスポーツテストもあるで。おまえ、そんなに太ってたらむりや」
「うそや、そうかて宇宙は無重力やで。体重なんか関係あるか。おまえこそアホや」
「うちら、向井さんにあこがれてたんやねん。応募しよな」
 葉月と美里がうなずきあっている。
 グッチは「やれやれ」と、ためいきをついた。
「おいおい、ちょっと待て。話は最後までよく聞くように。ここに応募要項がある。今から読み上げるさかい、よう聞け、ええか」
 いっぺんに教室が静かになった。
「年齢制限があるぞ。1985年から86年生まれということは……、お、えらいこっちゃ」
「ぼくら、あかんのか?」
 グッチは黒板に式を書いた。
 85 −25 = 60                       
 注)作品作成時は1996年
 昭和の年号に直すには、西暦の後ろの二桁の数字から25を引いたらいいらしい。 
「昭和60年生まれということは、つまり」
「ぼくらや、ぼくらのことや」
 どっと歓声があがった。
「次に、健康優良。性別問わずや」
「うんうん、ぼくらにぴったりや」
 ここまでは、よかったのだが、
「視力1・2以上。虫歯はなし。体型標準」
とグッチが条件を読み上げるたび、教室中に、「えーっ、そんなんブーや」という声が響きわたった。ファミコンやテレビ、パソコンのせいで、クラスのほとんどが視力は0コンマ以下だった。おまけに、スナック菓子やジュースのとりすぎで、たいていの子は虫歯があったり、太っていたりだ。
「お、これは、もうあかんで、致命的や。英語で日常会話ができることと書いてある。しかもや、宇宙についての作文も出さなあかんぞ」
「いちぬけたぁ」
 椅子をぎしぎしいわせながら、剛が立ち上がった。
「おれも、きっちり断るで」
 えらそうにそういったのは、最近めがねをかけだした伸介だ。
「先生、英語なんて、小学生にはどだいむりやで」
「そやなあ、今時の日本の子どもが、これだけの条件をクリアーするのは、シンデレラの靴に足をあわせるより困難かもしれんなあ」
 先生は苦笑した。
「うち、こんなん、すかん」 
 美里がそういうと、葉月もうなずいた。
「そやそや、気、持たせんといてほしいわ」
 みんながぼやく声を聞きながら、ぼくは、はやる心をおさえていた。というのも、ぼくは応募条件を、すべてクリアーしていたからだ。
 いわゆる帰国子女のぼくは、英語はばっちりだった。「できるだけ読書をさせたい」という両親の方針で、家にはテレビもファミコンもない。おかげで視力は1・2。作文も得意中の得意だ。生まれたときからお茶代わりに飲んでいた牛乳のおかげで、虫歯だって一本もない。
 チャンスはこうしてやってきた。
 まったく普通の男の子だったぼく、佐藤杜生(もりお)は、世界で始めての少年宇宙飛行士に選ばれたというわけだ。
 ナサで特訓を受けるために出発する前の日、クラスでお別れ会を開いてくれた。
「もりお、おれ、一生のお願いがあるんや。宇宙へこのビー玉、持っていってくれへんか」
 そういう剛の頭を、先生がこずいた。
「白浜へ泳ぎに行くのとはわけがちがう。スペースシャトルにそんなもん、のせられるわけがないやろ」
「そんなら宇宙から手をふって、五年一組元気かというてくれる?」
 葉月がいった。
「そや、それぐらいならできるんとちがうか」
 みんなの熱い視線がぼくを刺した。
「それやったら、できるかもしれへん」
 いきがかり上、ぼくは安うけあいをしてしまった。
 しかし、実際には、莫大なお金を使って打ち上げられたシャトルから、プライベートなメッセージを送るなんて、とてもできないことだった。
 約束を果たせないうちに、あと三日で、地球に帰るという日がきてしまった、というわけだ。
 ぼくは、自分だけがおいしいお菓子をひとりじめしているような、後ろめたさを感じていた。無重力の中にいても、心は別なんだとずしりと重い心をもてあましていた。

 スペースシャトルの中には、宇宙旅行中の家族を想定して選ばれた四人のメンバーが乗っていた。お父さん役のジョン(アメリカ人)。お母さん役のメイ(中国人)。お姉さん役のマルガリータ(ドイツ人)。そして弟役のぼく。近所のおじさんという設定で二人の専門家が乗っているのは、いろいろな実験をするためだ。
 一日一回、衛星を通じて、シャトルの中が世界に放送される。そのときに英語でつけた日記を読み上げるのが、ぼくの役目だ。日記に何を書くかは、あらかじめ指示が出ている。たとえば、
  ○月○日
 体調はどんなか。失敗したこと。不便なこと。
  ○月○日
 何を食べたか。うまく食べられるか。家族旅行の気分は。不安に思うこと。
  ○月○日
 窓の外はどんなようすか。意外な発見はあったか。ペットのハムスターのようす。
と、いうふうに。その項目にそってかけばいいので、比較的楽だ。
 ぼくがカメラに向かって日記を読み終わると、ナサから簡単な質問がある。それに答えているうちに、カメラはターンして他の乗務員やシャトルでの実験を映しはじめる。

 ぼくの食欲が急に落ちたことに気がついたのは、お姉さん役のマルガリータだった。
「ドウシタノ、ホームシック?」
 ぼくは、首を横にふった。
 お母さん役のメイとマルガリータが交互にやさしくなぐさめてくれる。お父さん役のジョンの腕に抱きしめられたとき、人間がこんなにも力強いものかと感じたのは、無重力にならされていたせいだけなのだろうか。ぼくの悩みは、たちまちみんなの悩みになった。
「ナニモ シンパイ スルコトハナイ。チャンスハ キット アルネ。ラストノヒニネ、ホラ」
 ジョン父さんは、ぼくの日記を指さして笑った。あわてて日記をのぞきこもうとしたぼくは、無重力だということを忘れて、バランスを失ってしまった。ぼくの体は宙に浮いた。マルガリータが笑いながら、ひっぱりおろしてくれた。
 ぼくは、日記の上をさしているジョン父さんの指先を見た。
  ○月○日
  世界中の子どもに向けて、宇宙家族全員でメッセージを。
 ぼくは、首をかしげた。
(これが、どうして?)
 メイとマルガリータも、ぼくと同じでよくわからないらしい。二人はぼくを見て、首をすくめた。ジョンが説明してくれた。

 さて、最後の日、地球の子どもたちにメッセージを送るために並んでいるぼくらを、カメラがとらえた。
 ジョン父さんが英語でいった。
「ハーイ トーマス、メアリー、ボブ、キャシー……。自然ヲ愛スル、ヨイ子ノミンナ。チャンスハ、キミタチニモ、キット オトズレル。宇宙ハ トテモ 神秘テキダ。偉大ダ。ソシテ、旅行ハトテモカイテキダ」
 メイ母さんが、それに続いた。
「宇宙デカンジタコト。人間ハ生キテイルノデハナクテ、生カサレテイルトイウコト。宇宙ハトテツモナク大キナ愛デス。ヤン、スー、リー、ビビアン、ソシテ世界中ノコドモタチ、イキテイルトイウコトヲ、タイセツニカンジテクダサイ」
「イワン、ナターシャ、ハインリッヒ、マリーア、アナタタチハ、未来ヲシンジテイイヨ。未来ヲ夢ミテイイヨ。人ヲシンジテホシイヨ」
 マルガリータがそういいい終わると、ジョンがぼくの背中をそっと押した。ぼくの番だ。
「やあ、伸介、剛、葉月、美里……、五年一組のみんな、元気? 宇宙でぼくが考えたことは、約束についてです。約束はどんなに離れていても不滅です。イエイ!」
 ぼくは、ふりかえってジョンを見た。
 ジョンは大きくうなずくと、「宇宙で……」からあとを、英語で繰り返してくれた。
 ぼくは晴れ晴れとした気持で、はるか地球の友達に、手をふった。