ええがな映画
 

2007年 映画館で観た映画

独断と偏見のとんぼ評
「アイ アム レジェント」

だれもいなくなったNYで、中佐の彼がひとり残っているのはなぜ……。

昼間は、荒れ果てた街を車で街を突っ走り、夜は家にこもり、恐怖と戦いながらも細菌の発生地NYにとどまっているのは、生存者を探しつつ、血清の研究をし続けているからです。たったひとりで、どう戦っていくのか、物語の展開は想像もつきません。どきどき感と期待感で、画面に釘付けになっていたのですが、後半は期待はずれというか、あの状況であるはずがないつまらない展開を引きずったまま、ラストに流れていったのが、なんとも残念。

それにしても、細菌に侵された人間や動物が、ずるむけになって凶暴化する設定が、「バイオ・ハザードV」にそっくりでした。

何はともあれ、愛犬の死が身につまされました。それに左足の痛さ……も。
「PEACE BED ―アメリカ VS ジョン・レノン―」

ジョン・レノンとかかわった人たちの回想と、実写で構成されています。ビートルズの一員としてしか知らなかったジョン・レノンの存在が、ベトナム戦争に若者を駆り立てていたアメリカ政府(ニクソン)にとって、目の上の大きなたんこぶだっただなんて……、驚きです。ジョンは、FBIにマークされ、尾行と盗聴、国外追放への動き……。まるで、昔のスパイ映画の世界です。

愛と歌で世の中を平和にできることができると唱えていたジョンのパワーは、アーチストとしての域を超えていて、あの時代の救世主だったのかもしれません。

それにしても、オノ・ヨーコという女性は、若い頃も今も、なんと魅力的な話し方をする人なのでしょう。ジョン・レノンの雄弁なこと。意外でした。
「椿三十郎」

かなり深刻な武士の世界を、劇画風に、しかもユーモラスなタッチで描かれていて、なかなかおもしろかったです。9人の若侍の血気盛んぶりや、城代家老睦田の奥方ののんびりさ、捕らえられた敵の侍(押入れ侍)のひょうきんさや、敵方の懐侍、室戸の鋭さなど、登場人物が魅力的でした。

黒澤作品を観ていないので、先入観なく観ることができたのがよかったです。ただ三船敏郎の椿三十郎は、もっと迫力があったかもしれないと思います。織田裕二は、少し若いことと(「もうすぐ四十郎」というセリフがあるのですが、昔の40歳は今の50歳ぐらいではないでしょうか)と、ちょっと軽いというか、織田裕二の演じる椿は、あそこまで剣の達人と思えないところが惜しかったです。でも、いい味を出していました。
「マリア」

精霊により身ごもったマリアが、どんな村で、どんな暮らしをしていたのか。ヘロデ王の暴君ぶりからも、民が救世主をどんなに待ち望んでいたかがよくわかります。この映画は、キリストが家畜小屋で生まれるまでの物語ですが、タイトルは、「マリアとヨセフ」にしてほしかったです。ヨセフが婚約者であったからこそ、マリアは守られたのです。3人の博士も、おまけ物語として楽しめました。
「転々」                          130

返すあてのない借金を抱えた文哉のアパートに、借金取りを名乗る福原という男が押しかけ脅迫をする。その一方で、福原は100万円の札束をちゃらつかせて、「東京散歩に付き合えば、この金をそっくりやる」という。選択する余地のない文哉は、吉祥寺から霞ヶ関を目指すという福原の散歩につきあうことになった。その間に、ありそうで決してありえない、いえ、なさそうであるかもしれないドラマが展開していきます。福原の妻のパート先の三人組の登場もかなりおもしろく、街角で岸部一得を見かけるといいことがあるという設定も、布石として効いています。

わたし的には、愛玉子(オーギョクチー)という台湾のデザートが出てきたのが、めちゃ、うれしかったです。今年の5月に、生まれて初めて遭遇したのです。まさに未知のおいしさとの遭遇でした。(5月19日の日記)
「ふみ子の海」

昔、新潟地方に盲目の人たちが多かったのは、食べることにも事欠く貧しさからだと知り、胸が詰まりました。盲目の少女ふみ子を演じた少女の、かれんで、かわいいこと。

昭和初期のことです。母親を助けたい思いで、盲学校に行くことをあきらめ、8歳で按摩屋に見習いとして住み込んだのですが、そこで厳しい修行が待っていました。先輩にあたる弱視の少女サダが、なにかにつけて、ふみ子をかばってくれます。幸い、ふみ子はたくさんの心の豊かな人たちにめぐり合います。滝壺薬師の住職、麩屋のおじいさん、芸者〆香、盲学校の先生。そして鬼のように厳しかった按摩屋の女主人も、盲目の少女の将来を思えばこそで、ふみ子はその人たちのおかげで、志を高く持つことができます。それにつけも思うのは、サダという少女の生涯です。幸せになってほしかった。

一生を、視覚障害者の教育に捧げた粟津キヨさんの少女時代をモデルにした小説の映画化だそうです。
「恋空」

携帯小説の映画化だそうですが、携帯電話が小道具として、随所随所に、見事なほどまでにうまく使われていました。携帯電話がなくてはこの物語が成り立たなかったでしょう。

今時の高校生の恋愛は、ここまで進んでいるのかと驚きましたが(双方の親もすんなり認めているところにも時代なんだなあと思いましたが)、高校生という枠を外すと、切なさが伝わってきました。主役を演じた新垣結衣のこわれそうな初々しいさが、魅力的でした。
「遥かな時代の階段を」

濱マイクシリーズの第二巻で、カラー映画でした。川の利権を巡る抗争事件が勃発するのですが、何者も手を出せない権力者「白い男」が登場します。その正体は……。マイクの母親が登場したり、彼自身の出生の秘密が描かれるなど、面白かったです。この日、「我が人生最悪のとき」と「遥かな時代の階段」と、更にもう1本、「罠ーTHE TRAP]も上映されたのですが、佐野史郎と林海象監督の対談もあり、時間的にも体力的にも、「罠」を観ることができませんでした。完結編だということなので、惜しかったですが。
「我が人生最悪のとき」

この映画は、京都造形芸術大学の映画祭で観たのですが、林海象監督が、自ら、ご自分を代表する映画としてピックアップされたもので、言い換えれば監督の代表作になるのでしょう。

映画館に事務所を構える私立探偵・濱マイクの活躍を描くもので、シリーズ第一巻は、白黒映画でした。台湾の青年に兄を探すように依頼をうけるのですが、それがこの事件につながっていきます。主演の永瀬正敏は、はまり役だと思いました。
「バイオ・ハザードV」

主役がいきなり死んでしまうという衝撃シーンで映画は始まります。物語が展開していくうちに、なぞが解けていくのですが、パートTもUも見ていなかったので、いきなりクライマックスの部分だけを観た感じがしました。最新作を楽しむための「おさらい特集」というのが、公式HPにあります。それを見てから観にいかれるといいと思います。

身がすくむ、おぞましいシーンの連続ですが、アリスの魅力に引きこまれてしまいます。彼女、実生活ではおめでただそうで、ふっくらやさしい感じの写真を見ました。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

三丁目の住人の、それぞれの葛藤がうまく描かれていました。茶川先生や淳之介はもちろん、今回、鈴木オートにやってきた一平のはとこにあたる少女や集団就職したろくちゃん。あくま先生は、妻子を亡くしていましたし、夫婦仲がよくて幸せそうな鈴木オートのお父さんやお母さんでさえも、戦死した戦友への思い、戦争で引き裂かれた恋人への思いに、胸が締め付けられる日もあるのです。だからこそ、人の悩みを我がことのように、心配できるのかもしれません。

3丁目の人たちと、どきどき、はらはら、笑ったり、心配したりの2時間45分でした。

それにしても、芥川賞の最終候補になった「踊り子」という作品の一部が読み上げられるのですが、あらすじのようで、いまいちでした。この部分はシナリオラーターではなく、本物の純文学作家に書いてもらってほしかったです。
「長江哀歌」

画面から汗と煙草と砂埃の匂いがしてきそうでした。テーマは深く、中国の嫁問題やダムに沈んでいく村で働く人々の暮らしぶりなどを取り上げています。中国人の生活に欠かせない煙草・酒・茶・糖(アメ)をモチーフにしているのは興味深いのですが、起承転結の「承」の部分がやたら長く、物語そのものがなかなか進展していきません。主人公が抱えていた問題が解決しないまま映画は振り出しに戻ってしまった感じがします。

主人公が、ダムの建設現場にいた日々は何だったのでしょう。再び危険な炭鉱に戻って1万元を稼いだとして、願いが叶うのでしょうか。16年の歳月が取り戻せるのでしょうか。ドキュメンタリーとして捉えれば、なかなかいい映画でした。
「象の背中」

末期ガンだとわかったサラリーマンの最後の6か月の生き様を描いた物語です。キャッツフレーズに、「人生で最も輝いた夫婦の180日間」と書かれています。でも、そうでしょうか……?

もし、不治の病であとわずかの命だと宣告されたら、こうありたいという理想にすぎません。みじめな最後にならないように延命治療は断る。仕事の引継ぎも結果的にはうまくいく。会いたかった人に会って気持ちを伝える、あるいは仲直りをする。浮気相手に妻より先に告白、慈しんでもらう。絶縁していた兄に会って、金銭援助(遺産分け)を快諾してもらう。しかも、愛人への分骨を妻に内緒で頼む。ホスピスに入り、妻や娘・息子にやさしく看取ってもらう。孤独の中で死にたくないですって! だれだってそうです。でも、現実は……。みんな葛藤を抱えて生きているのです。

一言でいえば、自分の生き方しか考えられない傲慢な男の、虫のいいストーリーでした。
「ブレイブ・ワン」「許せますか、彼女の選択」

もし、愛犬のためにボールをトンネルの中に投げなかったら、何事も起こらず、彼女は彼と幸せに暮らしていたことでしょう。コンビニでも、地下鉄でも、もし、彼女が行動を起こさなかったら……。それから後のことを許すか、許さないかは意見が分かれるところでしょう。彼女の選択をどうこう言う前に、「許せますか、銃が自由に買えるアメリカという国を」です。

ラジオのパーソナリティでもある主人公が、「ストーリー・ウオーク」という番組で語るニューヨークの街への思いは、詩のようです。ジョディ・フォスターの語り、素敵です。
「水になった村」  120

岐阜県の徳山村に、日本一大きいダム建設の話が持ち上がったのは、1957年のことだそうです。ほとんどの人が移転していったあとも、数人のお年寄りたちが残って生活していました。自然の恵みに満ちあふれた山村の生活ぶりを、大西暢夫という若いカメラマンが15年間撮り続けてきたノンフィクションです。カメラマンの姿は見えませんが、お年寄りに語りかけるようにあれこれたずねている話しぶりで、やさしい方だということが伝わってきます。

「星めぐりのうた」が時々流れるのですが、静かなこの山村のテンポにぴったりでした。製作はポレポレタイムス社です。
「自虐の詩」

気に入らないとちゃぶ台をひっくり返す。働かない。お金は持ち出す。けんかはする。やさしくない……。いえ、彼は、本当はとてもやさしい男なのです。それが証拠に、小指と引き換えに彼女のために足を洗った世界には、どんなに誘われようとも、決して戻ろうとしません。彼女に手をあげたりも、決してしません。4コマ漫画の映画化なのですが、そんなふたりを、阿部寛も中谷美紀も違和感なく演じていました。

中学生だった頃の彼女の友だち「熊本さ」の友情に泣きました。遠くにいても、会えなくても、こういう友だちがひとりいれば、生きていく支えにじゅうぶんなります。通天閣の見える大阪が舞台になっているというのも、うれしい設定です。
「パンズ・ラビリンス」

ファンタジーと呼ぶには、切なく悲しい物語です。

母親の再婚相手が、ゲリラを追い詰めている冷酷無比な鬼の大尉だったのです。大尉のいる山の中に、少女は身重の母親と行くことになるのですが、そこで暮らさなければならない恐怖心が、少女を空想の世界に逃げ込ませたような気がして、観終わったあとも辛くてなりませんでした。死後に伝説の王国の王女になるよりも、やさしかった家政婦やゲリラたちと現実の世界で暮らして行けたらどんなに幸せだったかと思うのです。選べることが出来なかった……。そんな少女への鎮魂歌として、この物語を受け止めました。とても、「わくわく」などしませんでした。「どきどき」のしっぱなしでした。
「スターダスト」

越えてはならない壁の向こうは、ファンタジーの世界。出てくる、出てくるおかしなキャラクターたち。登場してくるたびにぞくぞく、わくわくしてきます。生きているときは王座をめぐって壮絶な戦いをしていた王子たちの亡霊たちや、空飛ぶ海賊とキャプテンはもちろん、醜く老けてしまった400歳の邪悪な魔女姉妹などなど、みんな憎めないのです。憎むべきは、愛を物に換算する人間の心の醜さです。

木村威夫氏の話をしいたおかげで、映画美術というものにも興味を持って観ることができました。空とぶ舟も、魔法も、ファンタジーの世界も、違和感はありませんでした。
「ツィゴネルワイセン」

240本もの映画の美術監修・監督をされた木村威夫氏が、数ある作品の中から選ばれた2作が、この「ツィゴネルワイセン」と「海と毒薬」でした。

どこまでが現実で、どこからが幻想か……、考えてもわからない部分や、つながらない点もあったのですが、木村氏いわく、シーンは、それぞれ1枚のフォルム(絵)として観てくださいとおっしゃいました。どのシーンも工夫されていて、不可思議な世界に魅せられてしまいました。
「海と毒薬」

実話を素材にした遠藤周作の作品の映画化原作です。医学のためという大義名分の下、人の命を軽ろんじるやるせなさに心が重くなるテーマですが、主人公の葛藤が、救いです。

主人公の医学生を演じていた若きころの奥田瑛二は、この映画に出演するまではまったく売れずに、故郷に帰ることになっていたそうです。この映画の演技が認められて、今では、性格俳優として、監督も手がけるまでになったのですから、人生は面白いです。
「題名のない子守唄」

映画が始まる前に、「結末を誰にも話さないように」という字幕が出ました。なぜ、彼女が執拗なまでにその家のメイドになるわけのことだと思いました。それならすぐにわかりました。でも、わかったつもりでいただけでした。結末は……。

ボートをも覆す激しい急流のあとの静かな流れのように、穏やかで、暖かいものでした。いつまでも余韻として残ることでしょう。
「ヘアースプレー」

最初から最後まで歌と踊りと笑いの連続。体がひとりでに動き出します。家に帰ってからも軽快な音楽が耳から離れません。髪の毛を膨らませてヘアースプレーでこちこちに固めるのが流行っていた60年代の物語です。太っていても、肌の色が違っても、そんなことで差別するなんてとんでもない! 天真爛漫なトレーシーの笑顔が、めちゃかわいいです。お母さん役が、トラヴォルタ……。しかし、まあまあ、あんなにスプレーをまき散らして!
「クローズドノート」

町の風景はもちろん、主人公が越してきたアパートも、バイト先の万年筆店も、小学校の授業風景……も、スローライフといえばいいのでしょうか、なにもかもがやさしいのです。アパートの前の住人が忘れていったノートがこの物語の進行役です。ノートの中の人物が現実の人と重なったとき、この物語がはじけます。

学校の先生方にも、あるいは小学生にも観て欲しい映画です。子どもに見せたくないようなラブシーンや暴力シーンなどがないので、親子で安心して観ることができます。どの子にもみんな、「心の力」があることを知ってほしいです。相手役が画家という設定なのですが、その絵を描いたのは下田昌克という画家さんです。「ともし火」という絵に思いが込められていて、その絵を見たときに、涙が流れて止まりませんでした。
「グッド・シェパード」

グッド・シェパードのシェパードというのは羊の番犬のことだそうです。羊、つまり国家のために、「私」の部分を忘れ、「番犬」になり、CIAの立ち上げに大きくかかわった男の物語です。「私」を忘れたとはいえ、息子に対しての愛情は深く、板ばさみになるような危機も訪れます。「わたしには、アメリカ合衆国がある」。それが、この男の支えとなっていました。

字幕に年月と場所が明記されているにもかかわらず、主人公を演じていた俳優が、若い頃も父親になってからも、見た目が大して変わっていなかったので、これは観ている者にとって辛かったです。物語のポイントとなる、玄関の放り込まれていたテープと写真の正体がだんだんわかってくるのですが、そのテープがいつ放り込まれたのかを見逃したこともあって、(え、そうなの……)という感じがしました。
「インベーション」  110

ワシントンに住んでいる精神科医のキャロルは、「夫が変わった。怖い」という患者の言葉を病気のせいだと思い、薬を出していました。ところが、だんだん周りの人々の異変に気がついていきます。みんな無表情で何かに取り付かれたようにうつろです。離婚した夫に愛する息子を預けたのですが、その夫も離婚前の夫ではないような気がしてきました。キャロルは、息子が心配でなりません。

航空機が空中分解した時に飛び散ったものの中に、地球では見られない細胞が見つかりました。それが人を変えていくことがわかったのですが、対処の方法がみ見つからないまま、無気力な人がどんどん増えて生きます。感情をなくした人たちの間では、たしかに諍いもなく、一見平和に見えるのですが、人を愛することも出来ないのです。息子を深く愛しているキャロルは、眠ってしまうとその間に、自分が自分でなくなるという恐怖の中、睡魔と必死に戦います……。人間の悪の部分を決していいとは思いませんが、善悪をかねていてこそ人間なのだと痛感しました。
「大統領暗殺」

「2007年10月19日 ブッシュ大統領暗殺」という設定になっています。その日付の設定は微妙です。上映中に、この日付は過ぎてしまうわけで(実は、わたしはこの日に観ました)、この設定にどういう意味があるのだろうと首をかしげました。

反ブッシュ派のシカゴ市民のデモは、暴徒化して、警察の押さえが効かなくなります。戦争で家族を亡くした者にとって、ブッシュは「人殺し」というわけです。そんな中で大統領は狙撃されるのですが、後半は、犯人さがしになってしまっていて、テーマがすりかわっているように思いました。ブッシュの死で、副大統領のチェイニーが大統領に就任するのですが、それでアメリカは変わるのでしょうか。世界は変わるのでしょうか。その辺が知りたいところでした。

それにしても、映画の中でのブッシュ大統領の演説は、てらいのないとても好感の持てるものでした。このシーンは、ニュースからの引用とわかりました。が、フィクションとノンフィクションとの接点があまりにも自然で、インタビューを受けている大統領のブレーンやFBIが俳優なのか本物なのか、よくわかりませんでした。
「パーフェクト・ストレンジャー」

「あなたは絶対だまされます」という宣伝文句の通り、だまされてしまいました。いくつもの布石があったにもかかわらず、にです。まさかのラストでした。ラストを見て、あらためて布石効果の素晴らしさを感じています。

手帳や電話、時刻表が推理の決め手になる時代がありました。今は、まさにコンピューターです。この映画はもちろん、「デジャブ」も「ダイハード4・0」もコンピューターがなくては語れない面白さでです。
「サウスバウンド」

元過激派だったお父さんは、今もかなりの過激人。都会では問題ばかり起こってしまうので、お母さんの提案で、お父さんの故郷でもある西表島に引っ越すことになりました。ところが引っ越した先でも……。

若いときに突っ張っていた人もおとなになれば、丸くなる……はず。丸くなれないお父さんと、それを良しとして応援しているお母さん。納得できないことにはとことん戦うお父さんの生き方を、「しっかり見ておきいなさい」とお母さんはいうのですが、自分の主張ばかりして、世の中全体を否定してばかりいるふたりの結末は……、親として無責任際なりないものでした。でも、面白かったです。
「幸せのレシピ」

完璧な一皿に自信を持っているケイトは、料理のことしか頭になく、オーナーに勧められてセラピーにかかっています。そんなケイトが突然の姉の死で、姪を引き取ることになりました。なんやかやでしばらく店を休んでいる間に、ケイトのかわりに厨房に入っていたのは、お気楽なイタリア人の料理人。ここから物語が始まります。

人気レストランの厨房の中は、おいしさと戦っている戦場のようなものです。めまぐるしいのですが、みていると元気が出てきます。ケイト役の女優さんは料理が全く出来ないということでしたが、そういえば、レストランのシェフにもかかわらず、忙しそうに動いてはいましたが、彼女自身、料理そのものはしていませんでした。
「エディット・ピアフ 愛の賛歌」

1915年生まれのシャンソン歌手エディット・ピアフが、47歳で死ぬまでの波乱万丈の生涯の物語です。ピアフのシャンソンを浴びるほど聴きながら、1900年前半のパリの街角や暮らしぶり、幼い頃過ごした売春宿、父とドサ周りをしたサーカス暮らし、パリのレストラン、リビエラの海……をたっぷり楽しみました。

20歳のときに、街角で歌っているところをキャバレーのオーナーにスカウトされ、キャバレーで歌うようになりました。心の中を絞るように歌う彼女は、たちまち人気者になったのですが、世界的に有名になったのは、作詞家のレーモン・アッソとの出会いがあってこそでした。歌詞を正確に歌うように手厳しい指導をされ、さらに女優のように歌えと言われます。反発しながらも、そうしたことで彼女の名声は世界に広がっていくのです。浴びるほどお酒を飲まなければ、クスリを打たなければまだまだ生きられたのにと思うのですが、アーチストの彼女を常識で推し量ることはできません。恋人の死から立ち上がることが出来たのも歌うことででした。

   いいえ、ぜんぜん
   いいえ、わたしはなにも後悔していない  (「水に流して」より)

タイトル部分をクリックすると映画の公式ホームページになります。ピアフのシャンソンをいくつか聴くことができます。ぜひ、聴いてみてください。
「ラブストーリー」

学生時代、すでに親の決めた許婚のいた娘が、村に来た若者と恋愛をする。若者と許婚は親友で……という、ひとことでいえば三角関係純愛物語なのです。時代は変わり、その娘の娘である女子大生が、恋をしています。親友の片思いの相手です。ふたつの恋愛が並行して進んで行くのですが、母親の恋愛に比べ、女子大生のそれは葛藤が弱いので、物足りなく思ってしまいます。母の恋愛のトラウマのようなものがほしかったです。大林宣彦監督の「22歳の別れ」のように。

母の許婚は、親友のために身を引きます。父親に「いくじなし」と罵倒され、自殺未遂をしなければならないところまで追い込まれるのですが、その後も、ふたりの恋愛を応援し、ずっと母を見守って……。この脇役の設定、それが監督のやさしさの現われなのかもしれないと、京都の映画祭でのトークを聞いていて思いました。笑顔の素敵な監督でした。
「猟奇的な彼女」

生意気で、手に負えない彼女とかかわってしまった大学生。その彼女が「猟奇的タイプなので、ラブコメディになっています。たった1個のさりげない布石(伯母を訪ねるはずの主人公が、駅まではいったのですがそのまま帰ってくる)が、最後に大きな感動となって押しよせてきます。
「めがね」

たんたんと物語りは進んでいきます。日常生活からのしばしの逃避。静かな中に笑いがあり、癒しがあり、発見があります。ありえない設定に疑問がわいてもいいのです。だってこれは大人のメルヘンなんですもの。携帯電話も通じない、テレビもない、観光するところもない。そんな旅先で、たそがれていることができるか、できないか。ちょっと試して見たい気持ちもします。メルシー体操、いいですねえ。
「リトル・チルドレン」

母親になりきれないサラとその夫。司法試験に再チャレンジする予定の主夫のブラッドとその妻。元受刑者のロニーと母親。少年を撃ち殺してしまった元警官。みんなそれぞれ、人生に行き詰っています。孤独感・渇望感・疎外感・喪失感・失望感……が絶えず心を揺らします。今のささやかな幸せに満足できずに、別の生き方にあこがれてしまう「大人になれないおとなたち」の物語です。ありのままの自分をみつめることができたときに、夢ではなく、現実の自分の居場所を見つけることができるのです。

余談ながら、ブラッドが救急車を呼び、ロニーが病院に運ばれます。この場合、保険は使えるのでしょうか? 「しっこ」のムーア監督に確認したいところです。
「こんばんは」  100

ひと昔前までは、夜間中学校に通ってくる人たちは、戦後の混乱や家庭の事情で学校に行くチャンスがなかったり、働くことが先で学ぶことは後回しにしなければならない人たちが多かったのですが、今は、在日外国人や、不登校児などもいっしょに学ぶ場になっていて、一層たくさんの感動的なドラマがあります。

大人になってから読み書きを習う大人に、小学1年生の漢字を教えるのは、却って効率があがらないそうです。難しくても、もっと実質的な漢字、例えば「申告」・「請求」・「非常口」・「野菜」・「肉」など生活に密着した漢字を学ぶ方が意欲も俄然違ってくるそうです。夜間中学の先生歴42年の見城慶和先生が381文字に絞りました。ここで習う宮沢賢治の「雨にも負けず」も、生活に密着するように工夫されています。運動会・課外授業……。すべてさまざまな人生経験を経たきたからこそのもので、とてもいいのです。学ぶということは素晴らしいことです。そして、ここで教えるということも。
「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」

100パーセント日本映画なのですが、セリフは英語で、字幕スーパー付き。つまり日本人の俳優のすべてが、英語でセリフをいっているのです。祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり……を英語で聞く奇妙さ。一体、なぜ、英語で? と首をかしげながらも、面白く観ました。英語だったからこそ、不可思議な世界が描かれていたように思います。

壇ノ浦の合戦から数百年が経っているということなのですが、時代や背景、人物設定などにしばられていない映画です。源氏と平家の戦いを思わせる赤組と白組が、村の埋蔵金の奮奪戦をしているところに凄腕の流れ者がやってきます。時代劇? いいえ、西部劇なのです。伊勢谷友介演じる白組のリーダー義経は美形で冷酷。佐藤浩市演じる赤組のリーダー清盛は豪快。でも軽率。凶暴さにかけてはどちらも引けをとらない。ヒーローを絵に描いたような流れ者を演じていたのは伊藤英明。香川照之の保安官はなかなか味があるし、クエンティン・タランティーノとおばば桃井かおりの秘められた絆。木村佳乃も葛藤を熱演していました。

しかし……、もし流れ者がこの村に来なかったら、全員死ぬということはなかったのでは……。
ラストシーンで流れ者が少年に言い残す説教じみた言葉……、好きです。
「ホワイトメキシコ」

コンビニでバイトをしている娘が殺されるという理不尽な出来事が突然身の上に起こり、悲しみと絶望の崖に立たされてしまった男、佐藤を演じているのは大江千里。はまり役でした。敵も討ち、死ぬつもりでいるのですが、それまでにどうしてもしておきたいことがあって、青森行きのバスを待っています。乗り合わせた若い女性パステルはロシア人のクオーター。命知らずの曲芸飛行士だったおじいさんアンドレが航空ショーを前に急死したことで、悲しみだけではなく、ショーの契約キャンセル料など抱えきれないほどの借金を抱えてしまいました。

親子ほどに歳が離れて、ともに最愛の人を失った佐藤とパステル。おじいさんの形見になった時代物の飛行機の登場で、いろいろ降りかかってくるであろう現実的な問題はふっとんで、大人のメルヘンとして、それはそれで心地よく終わりました。
「アーサーとミニモイの不思議な国」

冒険家のおじいちゃんは旅に出たまま帰ってきません。両親は旅行中なので、アーサーはおばあちゃんと二人で暮らしていましたが、借金のため二日後に家を明け渡さわなければならなくなりました。アーサーは、おばあちゃんから、おじいちゃんが庭に埋めたという宝石(ルビー)の話を聞きます。あれさえあれば、家を明け渡さなくてすみます。ところがどこに埋めたか、今となってはわかりません。おじいちゃんの冒険記録に書かれている小さな小さなミニモイならわかるというのですが、どうすれば会えるのでしょう? 

実写とアニメが合体していて、なかなか面白かったです。おばあちゃんはなかなか粋で、べたべた甘くなくて、吹き替えの夏木マリの声に合っていました。朝食でも、夕食でも、おばあちゃんが作ったごはんを食べるシーンがあればよかったかな。不思議を信じることができるおとながそばにいるかどうかで、子どもの持っているクレパスの箱の中が24色になるか50色になるか、はたまた無限になるのか……。大きく影響することは間違いません。
「ミス・ポター」

世界で一番有名なうさぎだといわれているピーターラビットを生み出した女性の物語です。彼女の夢は、少女の頃から描きためた湖水地方の動物たちに物語をつけて、本にすることでした。ところがどこの出版社もうんと言ってはくれません。何軒も回っているうちに、ついに出版を引き受ける会社が現れました。でも引き受けたのは他の事情があってで、売れるとは決して思っていませんでした。しかし、ピーターラビットと仲間たちの物語は、たちまちベストセラーとなったのですが……。

100年前のイギリスでは、上流階級の女性が仕事を持つことなどはありえないようで、ましてや、親の許しもなく結婚することなど考えられませんでした。イギリスの湖水地方の自然がとてもロマンチックです。その土地が競売にかけられ開発に汚染されることになったときに、印税で買取り、国に寄付したということも知りました。ビーターラビットとその仲間たちは、自分たちのふるさとを守ったのです。
「石の微笑」

妹の結婚式の介添えをした彼女は、どことなく父親の形見の石像に似ているので、主人公の若者は驚きます。彼女の話は、どこまでが本当で、どこからが嘘なのかよくわからないのですが、石像に似ていることもさることながら、建物の地下室に住む彼女の不思議な魅力に、彼はひかれていきます。彼女はいいます。「わたしを愛しているなら、木を植えて、詩を書いて。そして、同性と寝て、だれでもいいあら人を殺して……」と。父の死後、家族を守って生きてきた良識的な彼の人生が少しずつ狂気じみた彼女の生き方に影響されていくのですが……。映画は、その後を暗示させる形で終わっています。
「マルチェロ・マストロヤンニ甘い追憶」

ソフィア・ローレンとともに、マストロヤンニの名前は、よく知っていますが、10年前まで生きていた彼の映画を、ほとんど観たことがありません。このドキュメンタリーには、マストロヤンニが出演した映画の1シーンを、たくさん観ることができます。友人・仕事仲間・家族が語る言葉に、マストロヤンニの人柄が偲ばれます。とてもいい人だったようです。カトリーヌ・ドヌーブと結婚していたことがあったそうで、その時、生まれた娘も彼を語っていました。
「HERO」

名誉や私欲にかられることなく、権力にも屈さずに、困難に立ち向かい、誠意と熱意をもって真実を求めていけば……、やがて事件は解決していく。弱き者を助け、悪に立ち向かっていく検事は、スーパーマンやスパイダーマンのように超人的な能力はなかっても、HIRO的な存在……だというのでしょうか。それだけ、悪に染まらずに、するべき仕事をするのが、難しい世の中になってきたということなのでしょう。出演者それぞれがヒーロー。かっこよかったです。
「釣りバカ日誌」

愛する家庭がいて、個性を認めてくれる上司に恵まれ、熱中できる趣味があって、あいつならしかたがないと応援してくれる仲間がいる。「釣りバカ日誌」のはまちゃんは、「寅さん」のような孤独感やせつなさはないのですが、世のしがらみに束縛されずに、自由に思うがまま、楽しく生きています。そんなはまちゃんと、しばし同じ時を共有するのは、実にいいものです。

それにしても、鯉太郎が大きくなっていたのには(なんと、高校受験生)、びっくりしました。奥さ役、前は、浅田美代子ではなかったような……。
「イタリア的恋愛マニュアル」

@ツキに見放なされた若者の恋 A倦怠期を迎えた夫婦それぞれの心のうち B婦人警官と夫。それぞれの浮気心 C妻に逃げ出された仕事人間の中年男の新たな出会い。4つの恋の物語。それぞれの物語の終わりに次の物語の発端が描かれていて、この構成、わたしは好きです。

Cの物語では、妻と別れることになった小児科医が、若い頃の恋人(ブロンド美人)に連絡をするのですが、待ち合わせのレストランに現れたのは、昔の面影がないほどに様変わりしている中年女。会わずにほうほうの手で逃げ帰ります。「22才の別れ」も相手が薄命だったからこそ、思い出として美化されていったのかもしれません。現実は、こんなもんです。

イタリア人は感傷の世界に生きていません。転んでもすぐに立ち上がってチャレンジするたくましい物語ばかりです。人生、転んでからが勝負です。
「22才の別れ」   90

先に歌がありき。伊勢正三の名曲「22才の別れ」をモチーフに描かれているのだそうですが、脚本は、あくまで歌詞に書かれているロウソクにこだわり、それをうまくというか、かなり強引に取り入れられているのですが、ロウソクの炎が、副題のLycoris(彼岸花)の映像にかぶり、印象に残りました。若い頃の恋を、今も引きずって生きているのは、かっての恋人が死んでしまったからなのでしょうか。新人女優の鈴木聖奈演じる花鈴がバイト先のスーパーのレジで口ずさんでいた「22才の別れ」、よかったです。
「天然コケッコー」

小・中学生を合せても全校生徒はたった6名の田舎の分校。教室は別でも、給食期間は、小学生も中学生もみんないっしょです。おもらしの世話も中学生がします。のんびりとした自然と時間が、子どもたちを育んでいきます。そんな学校に東京から転校生がやってきました。中学二年生の男子です。

この村(木村町―山陰のどこか)では、出かけるときに、「行ってきます」とはいいません。「行って帰ります」といいます。「ただいま」ともいいません。「帰りました」っていいます。女の子でも自分のことを「わし」といいます。それらの言葉の響きがなんとも心地よいのです。どこに住んでいても、子どもたちは少しずつ大人になっていく……。でも、育っていく環境で、心の変わっていく方向が違うことは確かです。この村の子どもたちは、健やかに心を育てて大人になっていく……。そんな感じがしました。

 ♪ 言葉は三角で 心は四角だね 丸い涙をそっとふいてくれ  (主題歌より)

「Life 天国で君に会えたら」

肝臓がんのため、38歳という若さで亡くなったプロのウィンドサーファー飯島夏樹とその家族を描いたノンフィクションが原作です。

なかなか優勝できなかった貧乏時代をふたりで乗り越え、有名になってハワイに大きな家を買ったものの、試合のために家にいない父親に対して、多感な長女は心を閉ざしてしまいます。しかも、人生まだこれからという時に、不治の病に侵されていることがわかったのです。その無念さ。自暴自棄になっていた彼が笑顔を取り戻せたのは……。生きていくのはもちろん、死んでいくのにも、家族や友人の支えが必要なのだと、つくづく感じました。

ラストに、ふたりの出会いのシーンが描かれていたのも、余韻としていつまでも心に残りました。亡くなった後も、きっと、奥さんと4人のお子さんの成長を天国から見守っていらっしゃることでしょう。とてもいい映画でした。
「ラッシュアワー3」

刑事役には、ジャッキー・チェンとクリス・タッカー。悪役に真田広之。思いがけなく工藤夕貴も出ていました。二人ともジャッキーに負けないほどの体当たりのアクションを披露していました。物語そのものはありふれていましたが、登場人物のキャラクターが、おもしろかったです。クリス・タッカー演じる刑事を筆頭に、フランス語の通訳役としてに出てくるまじめなシスターでさえ、どことなくおかしいのです。

クリスは、迷惑がられてもジャッキーを兄弟のように慕っています。一方、真田も、ジャッキーと同じ孤児院で兄弟同然に育ったのです。ジャッキーは養子にもらわれていったのですが、真田は孤児院で育ち、悪の道に進んでいったため、それが負い目になって、ジャッキーは刑事でありながら、真田を撃てずに逃がしてしまったのです。
「シッコ」

国民健康保険制度のないアメリカで病気になったらどんなに悲惨なことになるか、この映画は驚きの現状を見せてくれます。アメリカでは、保険に入っているからといって、安心してはいられません。アメリカの医師に課せられていることは、「病気を治すこと」ではなくて、いかにして、「保険が使えない」理由を探して保険会社に報告することなのです。それが昇給・収入に影響します。高額な医療代はすべて自己負担なので治療を受けられないまま死んで行く人も、破産する人もいます。治療中に医療代が支払えないとわかると、ダウンタウンの路上に捨てられることもあります。

そんなアメリカでたった一か所だけ医療が無料という場所があります。キューバにあるグアンタナモの米軍基地です。そこに収監されているテロの容疑者が最高の医療を無料で受けているというのに、9・11で命をはって活躍した救命員は保険が使えず、後遺症に苦しんでいるという不可解な現実。

キューバでは、カナダ・イギリス・フランスと同じように、医療はすべて(出産も)無料です。むしろ、貧しい人には、病院に来るまでにかかった交通費を支給してくれています。キューバでは、医師は保険のことなど考えずに患者の病気を治すことに専念していますが、更に、患者にたばこをやめさせたり、血圧をさげたりすると給料があがるようになっています。革命家チェ・ゲバラの娘さん(医者)の言葉が印象的でした。「キューバは産業もなく貧しい国です。でも、病気になれば、だれでも最高の医療を無料で受け、手厚い看護をしてもらうことが保障されています」。

アメリカとキューバ。とちらが豊かで貧しい国なのでしょうか。あなたの住みたい国はどちら? この映画を観て決めてください。
「ヒロシマ・ナガサキ」

1952年生まれの日系三世の監督は、「はだしのゲン」の英語版を見て、原爆について興味を持ち、伝え残さなければと広島や長崎を訪れ、すでに何本も映画を撮っています。今回のこの映画は、アメリカHBO提供のドキュメンタリーフィルムが、当時の広島や長崎の街の生々しい様子や呆然とした人々の悲しみを映し出しています。崩壊された町、ひどいやけどや痛々しい傷をはじめてみました。

今、この地球に、広島や長崎に落とされた原爆の40万個分の核が、存在しているといいます。なぜ……。
「ブラインドサイト―小さな登山者たち」

ドキュメンタリーです。驚いたことに、チベットでは盲目の人たちは、悪魔に取付かれているといわれ、邪魔者にされ、罵倒され、ひどい差別を受け続けていたのです。そんな子どもたちのためにチベットで盲学校を開いたのが、ドイツ人の女性で、彼女も盲目だということに、まず感動しました。盲人として初めてエベレスト登頂に成功したアメリカ人登山家は、彼らにとってあこがれでした。その登山家といっしょに、 盲目の子どもたち6人が7000メートル級の山を目指すことになりました。

高度、あと400メートルという地点で、頭痛を訴えたり疲れの激しい3人の子どもが下山することになりました。残りの3人を登らせようという者、下山させるという者に意見が別れます。そのときのドイツ人女性の凛とした態度と言葉が素晴らしかったです。登山を体験した子どもたちは、その後、大きく変わります。いい映画でした。
「オーシャンズ13」

だれにでもやさしかった年長の仲間が心筋梗塞で倒れてしまいました。土地や私財を投げ打ってホテルの建設を夢見ていたのに、そのホテルを乗っ取られてしまったからです。リベンジしようと集まった仲間たち。一口で言えば、三人寄れば文殊の知恵のスペシャルバージョン版。「オーシャンズ13」の「13」は、仲間の数……かな。たぶん。 

「スパイ大作戦」や「ダイハード」のように、ドキドキ感はありません。それが、物足りないかも。
「インランドエンパイア」

難しくって、よくわかりませんでした。現実・映画・過去・妄想などがいり乱れていて、画面に映っているのが、いったいどの場面なのか、わからないのです。

女優のニッキーは、新作で復帰しようとしていますが、その映画は過去に完成を見ず、お蔵入りになったいわくつきの映画です。いわくというのは、ジプシーの呪いがかかっていて、主演女優と男優が殺されてしまったというのです。またニッキーは、夫が相手役の男優に、「妻は自分のものであって自由ではない、もし浮気などするとその結果はだたですまないぞ」と脅しているところをみます。映画を撮っているうちに過去のできごとを思い出したり、現実との境がわからなくなったニッキーは、男優と不倫をしてしまいます。そのことでますます錯乱、最後に殺されるのですが……。娼婦がたくさん出てくるのですが、それは映画の中のこと? それともニッキーの過去とのつながり?

ニッキー役のローラ・ダーンという女優さんは美人ではないのですが、はっとするほど美しく輝いている時と、えっと思うほどただのおばさん、いえそれ以下のいや味な表情のときとがあって、その落差がおもしろいです。
「トランスフォーマー」

映画が始まってしばらくは、得体の知れぬ侵入者による宇宙戦争に恐怖を感じましたが、人間の味方だとわかる合体ロボと主人公の若者が出てきてからは、娯楽感が強く、印象の違ったものになりました。ロボットが合体していくメカニズムやスピード感、迫力はすばらしかったです。

でも、地球を侵入するほどの知能と機能を備えた敵が、なぜめがねのありかをさぐれなかったのか……。
「レミーのおいしいレストラン」                               80

もし、レストランの厨房にネズミがいたら……。それだけでも大問題なのに、この物語は、レミーという天才ネズミがレストランの厨房で料理を作るのです。レミーだけなら、まだしも、最後はまあ……。タブーにもかかわらず、その魅力に引きづりこまれていきます。

料理は工夫です。例え有名なシェフのレシピがあっても、それにこだわっていては、おいしい料理は作れません。それにしても見習いシェフの、あまりにも才能のなさ。レミー(ネズミ)に指図されるまま、動いているだけです。レミーがいなければ、料理が作れないのです。彼は最後まで、料理を作る楽しみを知らないままで終わったのが残念です。

パリの夜景の美しさ。家族や仲間とのつながり。いきがい(夢)。偏見。批評家に左右される店の人気……。ユーモアと皮肉をエッセンスに、見事な一皿でした。
「怪談」

一龍斎なにがしの講談で物語の発端が語られていきます。その発端部分がなくても物語はじゅうぶん成り立っているのですが、その回想部分があるために女の怨念の枠にとどまらず、因果応酬の域まで広がって怖いものになっています。

主演が歌舞伎役者の尾上菊之助ということもあってか、芝居じみた所作が気になりましたが(特にラブシーン)それは最初のうちで、幻想的な映像に菊之助も黒木瞳もよく合っていました。累ゲ淵での立ち回りは、菊之助の動きがとても美しく、見ほれてしまうシーンでした。ひゃっとする怖さが、随所に。これが日本の怪談なのでしょうか。
「光の雨

原作は立松和平さん。書き上げるまでに、一度筆を折られたそうです。誰かが書かなければならない事件だと思った監督の高橋伴明さんは、本が出来上がったら必ず映画にすると約束したそうです。「光の雨」というタイトルのもたらす意味は、何なのでしょう……。

連合赤軍の浅間山荘事件があったとき、わたしは26歳。結婚した年のことでした。テレビの前から動くことができませんでした。「総括」「自己批判」という言葉もこのとき初めて耳にしたのですが、この映画は、その総括と自己批判を中心に描かれています。革命という名目のリンチ殺人……。赤軍派が、浅間山荘にこもるまでのノンフィクションです。

ノンフィクションといっても、この映画は劇中劇形式といえばいいのでしょうか、映画の中で映画を撮っている設定になっています。一人二役。俳優と、その俳優が演じる犯人の両サイドから捉えるというこの切り口で救われました。劇中劇の監督は、映画を撮っているうちに自分も参加したことがある革命という名の学生運動がなんだったのかわからなくなって、映画が撮れなくなってしまいます。この葛藤がよかったです。
「TATTUU−刺青ーあり」

人々を震え上がらせた血も涙もない「三菱銀行猟銃立て籠もり事件」の映画化です。犯人がどんな人物だったのか、生い立ち、日常、仕事、価値観、母親への思い、恋人との出会いと別れなどを描きながら、ライフルを片手に銀行に押し込むまでのノンフィクションです。犯人を演じていた宇崎竜童も、恋人役の関根恵子も、うまかったです。が、いかに事実とはいえ、人々を恐怖に落し入れたあの事件が、男をあげるというか世間をあっといわせたいがためだけだったと思うと、気持ちの持って行く先がありません。

「刺青あり」というタイトルは、犯人の死亡後、検死で特徴を確認したときの検視官のセリフだそうです。
「河童のクゥと夏休み」★★★★

江戸時代に起こった地震の地割れの中に閉じ込められた子どもの河童が、今の時代に蘇ります。それを見つけた少年と河童の友情を描いた物語なのですが、環境問題や人間のおろかさ、今の時代の風刺、親子の問題、友だちとのつながりなどなど、いろいろなテーマを真摯に、時にはユーモラスに無理なく投げかけていました。とても深い物語です。
「ひめゆり」★★★★

学徒動員の女学生だった生存者の声を綴ったドキュメンタリーです。当時16歳〜20歳だった可憐な乙女が、激しい沖縄戦の最中、不眠不休でろくに食べるものもないにもかかわらず、勝利を信じて兵隊さんの介護に当たっていたのですが、アメリカ軍が目の前に迫り、自らも死と直面したときの体験を語っています。生存者22名の生々しい声ですが、残る20名は、当時のことはあまりに辛くて、未だに語れずにいるそうです。

みなさん、80歳近いのではないでしょうか。語ってくださってありがとうございます。ひめゆり部隊の戦死者110名。目の前で亡くなった友への鎮魂歌でもあります。若い人たちに、ぜひ観てもらいたい映画です。
「魔笛」★★★★

モーツアルトの「魔笛」をイメージしたオペラ映画です。それぞれの歌唱力の素晴らしさはもちろん、字幕スーパーなので歌詞がよくわかりました。ストーリーは、途中で役どころが変わるというあいまいなところもありましたが、挿入曲として「魔笛」の1部が使われたのではなく、あくまでもモーツアルトの音楽に忠実だというのが、うれしいです。

三人の天使のキャラクター設定や衣装なども楽しめました。ただ、青年兵士の命を救ってくれた天使たちも、姫を助けに行くために不思議な力のある「魔笛」を授け、道案内の三人の少年を遣わせた、姫の母親である夜の女王が、いつのまにか悪役に代わってしまっていたことや、魔笛の遣い方(魔笛を持って手を伸ばせば、それだけで安易に威力を発揮できること)、戦争との関係などなど……がすとんと落ちませんでした。でも、舞台として観れば、それ以上のものでしたし、人の幸せは戦いから生まれるのではなく手を差し延べるとうテーマが、無数のお墓とともに心に残りました。
「それでも生きるこどもたち」★★★

少年兵士・窃盗・捨て子・エイズ感染・親の離婚・ストリートチルドレン……。身の上に降りかかる物理的条件を、子どもたちは選択することができないのです。7つの国(イギリス・イタリア・アメリカ・ブラジル・セルビア・ルワンダ・中国)の子供たちの現実を、それぞれの国の監督たちが撮ったオムニバス映画です。例えそれが不条理なことであっても、それを受け入れ、たくましく生きるこどもたちが描かれています。

もし、日本の子どもたちの抱えた現実をここに加えるとしたら、どんなドラマになるのでしょうか……。いじめと受験でのストレス。親をはじめ、すべての人間を信じられなくなったあげくに殺人……。なんとも悲しい世の中です。子どもたちが、子ども時代を、天真爛漫に子どもらしく生きることができますように。
「ハリーポッター 不死鳥の騎士団」★★★★

ハリーポッターの魔法の世界は、やっぱりおもしろいです。が、今回、敵と味方がはっきりわかっているので、どきどき感が少なくて、物足りなく思いました。敵にないものは友情(仲間の愛)。これは、西遊記とまったく同じでした。
「サイドカーに犬」★★★

両親は、薫が四年生の時に離婚してしまったのですが、その年の夏休み、母親が家を出た少しの間に、父の愛人らしき人がやってきたことがあります。まじめな母親に育てられた薫には、愛人ヨーコさんの物事にとらわれない自由な生き方は、おどろきでした。ヨーコさんと過ごしたのびのびしたわずかの日々の影響を受けて、少女はおとなになった……のです。

母親というのは、子どもにとっては、実につまらない女なのかもしれません……。
「私たちの幸せな時間」★★★★                              70

映画が始まってすぐにトロイメライが流れ出しました。トロイメライはわたしには思い出の曲で、もう泣きモードに入ってしまいました。自殺志願の金持ちのわがまま娘と殺人を犯したために死刑が決まっている青年が出会います。どちらもかたくななまでにとんがっていて手に負えない状態なのですが、物語が進むにつれて、なぜ自殺をくりかえしているのか、なぜ死刑を宣告されたのか、少しずつ過去が解き明かされてきます。終わりもトロイメライが流れていました。

終映後、メロメロになっているわたしに耳に、三人のおばさまの感想が耳に入りました。「あの女の人、あれぐらいのことで、自暴自棄にならんでもええのに」とひとり。それい対して、あとの二人が言った言葉が印象的でした。「死刑のシーンもありえーへんやろ。いいかげんが通るねん。それが韓国映画やねん」「そやそや、大げさやから韓国映画はおもしろいねん。」。わたしには、「あれくらいのこと」とは思えなかったし、「おおげさ」とも思わなかったのですが、この見知らぬ三人が、なぜかめちゃいい人に思えました。映画はそういう風に楽しめばいいのかも。
「モンゴリアン・ピンポン」★★★

少年が、川に水を汲みにいったときに、流れてきた白い玉を拾います。糸を紡いでいるおばあちゃんに見せると、川上に住んでいる精霊の宝物だといいます。どうみてもピンポン玉なのですが、子どもたちはもちろん、大人も、ピンポン玉を知らないのです。その小さなピンポン玉ひとつで、物語が展開していきます。子どもたちの表情がとてもいいです。

見渡すかぎり広がる草原、くねくねと流れる川、羊と馬を放牧しつつ、日が昇れば起き、沈めば寝て、つつましくゲルで暮らしている内モンゴルの民。その暮らしぶりと、天真爛漫に馬で草原を走り回る子どもたちの姿に、便利と引き換えに失ったものの大きさを思い知りました。精神的にも物質的にも不要な物をたくさん身につけすぎた生活を文化的というのでしょうか……。

ピンポン玉をとりあってけんかになったときに親のとった策に、あれまあと唖然とする一方で、ピンポンが何かを知らないのだから、それは正しい判断だったのだと思いもしました。
「鉄板英雄伝説」★★★

いろいろな映画の爆笑パロディです。「ダビンチ・コード」、「チャーリーとチョコレート工場」、「ナルニア国物語」、「スーパーマン」、「パイレーツ」……、そっくりさんが次々出てきます。「ハリーポッター」に至っては、三人ともかなりのお年で、特にハリーは髪の毛も薄い冴えないおじさんなのです。

チョコレートに入っている金のカードを手にした4人の孤児たち(子どもではない)が、チャーリーのチョコレート工場に向かうところから物語は始まります。いえ、金のカードを手にするところから、すでにいくつもの映画のパロディが始まっています。
「西遊記」★★★☆

子どもだましかと思っていたのですが、決して決して。おもしろかったです。金角、銀角、本気で怖かったです。何よりもそれぞれの役どころに扮していた役者さんたちがぴったりでした。孫悟空の香取慎吾、三蔵法師の深津絵里、沙悟浄の内村光良、猪八戒の伊藤敦史……。ほんの数分間でしたが、三蔵法師一行の偽者も現れます。だれが演じていたのか、これは観てのお楽しみです。魔力でかえるにされていた虎誠の国王、元に戻れば、実はあの方だっただなんて、吹きだしてしまいました。思わず、監督と演出家の名前を確認しました。

テーマは、悟空がいう「なまか」。なまかがあることがが、人間の強みなのです。
「胡同愛歌」★★★

路地の街、胡同(フートン)につましく生きる父親と息子の物語です。息子は勉強が苦手なうえ一途なところがあり、ときどき問題を起こします。妻と離婚したあと、仕事に恵まれなかった父親が、やっと仕事にありつき、結婚を考える美しい女性に出会います。ところが、人生そううまくはいかないのです。その女性には夫がいて、突然出所してきます。面会のときに離婚すると同意していたというのですが、それからは、その男の散々ないやがらせが始まります。仕事も失い、追い詰められた父親は、息子に、「お母さんのところへ行け」と説き伏せます。そして、決断したことは……。

わたしは今年の2月に北京を訪れた際に、輪タクで胡同巡りをしたのですが(2月1日の日記)、2008年の北京オリンピック開催に向けて、胡同は次々取り壊されて、瓦礫の山になっていました。路地の街はとても雰囲気があって、特に、四角い庭を取り囲んで居間や台所、寝室、物置が建てられている住まいは情緒がありました。ぜひ残しておいてほしいと思ったのですが……。
「選挙」★★★

驚いたのは、この映画は、100パーセントドキュメンタリーでした。

山内和彦さんは、ひょうんなことから自民党の白羽の矢を立てられ、縁もゆかりもない土地川崎市宮前区から、市議会議員の補欠選挙に出馬することになりました。それまでは東京で切手商を営んでいて、政治についてはまったくの素人にもかかわらずです。住民票を移すために借りた仮住まいのマンションには、家具など何もありません。地盤どころか後援会すらないまま、自民党の公認ということで、激しい選挙戦に突入することになるのです。
有権者を説得できる政治方針などありません。本人は、「自民党公認候補山内和彦です。改革のためにがんばります」を繰り返すだけです。握手の仕方、電話のかけ方まで教わらなければなりません。映画の中で、有権者の女性のひとりが、「あなたには投票しません」とはっきりいいました。「政治は政党が大切と思いますが、市議会は政党よりも人です。わたしは、この地区のために長い間がんばってきてくれた実績のある人を選びます。あなたは、選挙のためにここに来ただけの人ですよね」。まさに……。

この地区でどうしても議席がほしい自民党は、橋本聖子もや石原伸晃、挙句には小泉総理もかけつけます。党の力の見せ所です。選挙とはこういうものなのか……と思いました。救われたのは、この山内和彦さんという人は、なかなかいい人のようです。が、だからといって、政治家に向いているかどうかは、全くわからないことです。
「プレステージ」★★★

ふたりのマジジャンの物語です。ライバルのボーデンとアンジャーの助手時代、舞台でアンジャーの妻が縄抜けができず水死します。その手を縛りつけたのはボーデンだったのですが、禁止されていた二重結びをしたかどうか、ボーデン自身は覚えていないといいます。そこからふたりの執念の戦いが始まります。

映画全体にかかっていたトリックの種は、最後に解き明かされます。子どもがらみでアンジャーに寄り添って観ていましたが、どっちもどっち。マジックにかかっていたのはボーデンとアンジャー自身だったのかもしれません。
「ゾディアック」★★

連続殺人犯から新聞社の編集長宛に、暗号文書が届いた。「暗号文をそのまま新聞に載せろ。さもないと、次々人を殺す」という手紙が添えられて。1回目の暗号文を解いたのは一般市民で、事件はあっけなく解決するように思われたのだが、怪しき人間はいても筆跡鑑定・指紋など物的証拠の決め手がない。その間、カップル・タクシー運転手・スクールバスの子どもたち、ドライブ中の母子が次々ターゲットに……。中には模倣犯の仕業もあるようだ。体当たりの取材をしていた記者はアルコール浸りになって記者を辞め、俊腕刑事もお手上げ状態。迷宮入りのまま、10年が経った。最初から事件に興味を持っていた新聞社のイラストレーターが、どうしても犯人をつきとめたいと個人で事件をさぐって、犯人を追い詰めたようにみえたのだが……。

カリフォルニアで実際に起こった事件だそうですが、未解決のまま容疑者は心臓麻痺で死に、記者もイラストレーターも、刑事もみんな亡くなったそうで、すっきりしないまま映画は終わりました。
「シュレック3」★★★★

アニメーションなのですが、人物も動物も表情の豊かなこと。とてもチャーミングです。今回は、白雪姫やシンデレラなどおとぎ話のお姫さまが総出で、その素の性格が見られます。それに悪役(白雪姫の継母やシンデレラのいじわるねえさん、ピーターパンのクック船長……)たちも勢ぞろいで、王権争いに参加します。観客を楽しませようとする心意気に共鳴して、わたしだけではなく、まわりの観客の人たちも笑いっぱなしでした。

怪物と呼ばれようが、自分らしく生きることの大切さがメッセージです。
「大日本人」

スーパーヒーローに対しての皮肉なのか、ギャグなのか、それとも……。笑いもなく、感動もなく、共感もできず……。吉本興業がカリスマ芸人松本人志にお金を出し、彼なら、観客を動員できると思った皮算用は、外れなかったようです。ただ、銀幕の中に展開する世界を愛おしく思いたい古いタイプのわたしには、この作品の良さがわかりませんでした。
「約束の旅路」★★★★★                                   

映画が始まってしばらくしたら、涙が流れ始めました。悲しいからではありません。音楽も、映画の中の人々も、みんなやさしく心地よいのです。難民の子どもを看取った国境なき医師団の医師の慈愛に満ちたなまざし……。エチオピアの難民キャンプから息子を手放す母の思い……。ユダヤ人と偽ることを教え、いっしょにイスラエルに連れ出す息子をなくしたばかりの女性の思い……。受け入れ先の家族の思いやり。特にどんなときでも変わらない母親の愛。そして姉娘のやさしさ。更におじいちゃん……。エチオピアの難民キャンプに残る母親に手紙の代筆をしてくれ、太陽と木陰と土地は平等に分かつべきだと説く老活動家。それらの人々に対し、少年は、自分がユダヤ人だと偽っていることが葛藤となって、なかなか素直になれないのです。それでも、暖かく見守る大人たち……。映画が終わるまで、わたしは、その人たちのやさしさに感動して、静かに泣き続けていました。

少年が、フランスで医学を勉強するための費用はどうしたの? 医者になった少年の難民キャンプでの医療活動が、ビタミン剤(らしきもの)を配るだけしか描かれていないことに物足りなさを感じたりもしましたが、さまざまな愛情を受けて子どもは育つのだと感じ、それが描かれていることで、こちらまでやさしい気持ちになりました。
「ボルベール(帰郷)」★★★☆

スペインのラ・マンチャという地方は、男尊女卑が残っている地方のようです。母子三代に渡って同じ葛藤を抱えている女性たちの物語です。すっかり老いてしまったひとり暮らしの大伯母が、料理なども完璧にこなしているのが不思議です。その謎が解ける頃、この物語のいろいろな謎も解けていきます。

ラ・マンチャでは人の死をごく自然に受け止めて、亡くなった人といっしょに暮らしているという感覚でいるそうで、この話がなりたつのですが、ふたつの殺人事件が罰せられなくうやむやですんでしまうのも、ラ・マンチャという町のせい? たくさんの女性のたくましさが描かれています。
「ダイ・ハード4.0」★★★★★

大国アメリカでは、空と陸との交通機関・電気・通信・金融機関……などなど、市民の日常生活のほとんどがコンピューターで管理されています。それらのコンピューターに大規模なハッカーが侵入しました。この国をジャックしようとしているのです。その手足となったハッカーたちが口封じのために次々殺されていきます。

コンピューターを知り尽くした首謀者の指令で、交通期間が中断され、送電がストップされ、すべてのテレビ局の電波がジャックされ、偽りの画像が放映されるに至って、人々は大混乱に陥ります。そんな中、マクレーン刑事が危機一髪で救い出したハッカーの青年とともに、首謀者と戦っていきます。コンピューターを駆使したありえるかもしれないできごとを、超人的なありえないアクションで対決していくおもしろさ、文句なしです。スカっとします。スパイ大作戦と通じるところがあります。人間ドラマも描かれています。
「憑き神」★★★

三恵(みめぐみ)神社で願ったつもりが、三巡(みめぐり)神社だった……。それはただの勘違いではすまされない事体になっていきます。三つの災いの神が次々巡り来ることになりました。貧乏神、厄病神、死神。いったん取り憑いた神は、ちょっとやそっとでは払うことはできません。

生き方よりも死に方を選んでいた幕末の頃の、一種の風刺物語です。おもしろかったのは、取り付かれるとやがて死に至るという厄病神も、主人公のお気楽な兄には、効力がさほどではなかったことです。病は気からといわれていますが、なるほどと思いました。

最後に現代の東京が映り、原作者の浅田次郎さんが登場しました。草ぼうぼうの原っぱ(河原だったかも)に立っていたのですが、その足元に小さな祠がありました。この小さな祠が三巡神社……。その祠を発想の原点に、時代考証をして書き上げたんですよ、と浅田さんの目が言っているようでした。
「キサラギ」★★★★★

自殺したアイドル如月ミキの一周忌に思い出を語り合おうと集まったのは、ブログで知り合った5人にの男性フアンたち(ハンドルネーム家元・オダユウジ・スネーク・いちご娘・安男―彼だけ本名)。そこで、ミキは自殺ではなく殺されたのだとオダユウジが発言したことで、フアンとして思い出を語るつもりの和やかな場が、急展開していきます。思えば、この5人。素性のわからない者ばかりで、みんなあやしいのです。

最初はいくつかの点でしかすぎなかったできごとが、線になり、立体化されていくにつれて、なぞが解けていきます。犯人像が五転六転していくのですが、だれが犯人であってもおかしくない5人のキャラクター光っていて、サスペンス仕立てながら、笑いの要素もたぶんにあり、なかなかおもしろかったです。5人の男性が夢中になっている如月ミキちゃんが、あかぬけしていないところも、この物語をグレードアップさせていたように思います。
「輝ける女たち」★★★

映画に出てくる女性は、それぞれ妻であり、母親であり、娘であり、恋人であるわけですが、その枠に収まっていません。離婚、浮気、養子問題、職業、人生観……。それは登場する男性も然りなのです。「青いオーム」のオーナーのガブリエルの急死で、家族が集まるのですが、それぞれの関係が発覚してからまっていきますが、ややこしくって、その人間関係についていけません。とにかくみんな自己主張が強く、家族よりまず自分なのです。かっては娼婦だとわかり息子に攻め寄られたとき、カトリーヌ・ドヌーブ演じる母親はいいます。「わたしの人生よ。文句はいわせないわ」。強い。それを輝ける女たちというのでしょうか。
「ダニエラという女」★★★☆

娼婦という生き方が好きで、バーの飾り窓に座っているダニエラ。美しい彼女に恋した男が、宝くじを当てたのをきっかけに、結婚を申し込みます。いっしょに暮らすようになるのですが、気がつけば、彼女は元のバーに戻っています。戻るように説得にいくのですが、ダニエラは、「わたしはここが好き」といいます。しかも、彼女は、そのバーを取り仕切っているボスの妻だったのです。自由奔放に生きる彼女を目覚めさせたもの、それは、何だったのでしょうか。
「舞妓Haaaan!!!」★★★

修学旅行で舞妓さんを見て以来、舞妓さんと野球拳をするのを夢見ている男が主人公。その主人公を演じているのは安部サダヲ。この人だからこそ演じられたキャラクターだと思います。

最初から最後までハイテンション。くすくす笑いっぱなしでとても楽しかったのですが、しかし、なんともまあ、男の身勝手を絵に描いたようなお話です。「一見さんお断り」のお座敷に上がりたいがためにヒット商品を開発したり、野球選手としてデビューしたり、主役を張る俳優になったり、そんなこと、簡単にできるわけあらしまへん。ましてや旦那になろうやなんて。所詮、これは、男はんの夢物語なんやから、しょうがおへんのんどすやろか……。
「明日、君はいない」★★★★

午後2時37分。高校のトイレの中で自殺者発見。それがだれなのか、わからないまま物語はその日の朝に戻ります。

木漏れ日がやさしい校庭では、高校生たちがそれぞれの青春を謳歌しています。6人の高校生にスポットが当たっていくのですが、実際には、それぞれ深い悩みを抱えています。病気の悩み。ゲイだとカミングアウトしたために悩み、できない悩み。親が不在がちのために生じる悩み。恋の悩み。親の期待に対してのプレッシャーなどなど。だれもが自殺の恐れありの緊迫した状態です。いったい誰が自殺をしたのか、なかなか特定できません。意外な結末にショックでした。一番常識的で、いちばん友人のことを案じていた彼女(彼)―ここでは結末を知らせないほうがいいと思うので、性別はあいまいにしますが、彼女(彼)が、なぜ、死を選んだのか、今でも、わからないままです。

監督は19歳。実体験だそうで、友人が死ななかったら自分が死んでいたかもしれないという瀬戸際に、大人への過渡期の子どもたちは立たされているのです。
「ボンボン」★★★

失業中のファンは、娘のところに同居しているのですが居づらい思いをしています。細々と手彫りのナイフを売っているものの、それもなかなか売れません。そんなある日、車を直したお礼に、血統書付きの犬をもらいました。その犬は、「ドゴ・アルヘンティーノ」という犬種で、優秀な犬だということが、ドラマが進むに連れてわかってきます。すすめられるがままコンクールに出したところ優勝します。さっそく交配の依頼が来ます。ところが……。南米のわらしべ長者の物語だということなのですが、ドラマは吉兆を匂わせた段階で終わっています。

主人公を演じたおじさんは素人だそうですが、そのはずかしけな表情がこの役柄にぴったりで、またボンボン役の犬のとぼけた表情も、心和むものでした。
「華麗なる恋の舞台で」★★★★★  50                       

人気女優ジュリアの舞台は、いつも拍手喝采です。理解ある夫に支えられて公私共に何不足ないはずなのですが、気分はもやもや、いらいら。しばらく舞台を休みたいといいまだします。ところが、息子と同じような年齢のトムに恋したジュリアは、いきいきと輝きはじめます。が、それも束の間、トムに女優志願の若い恋人ができます。ジュリアは理解ある態度で、その娘を望み通り自分の舞台に立たせてやり、自分はその娘の引き立て役に徹するといいます。演出家である夫は、ジュリアらしくないと感じるのですが……。してやったり。恋人と夫を手玉にとった小娘に舞台で仕返しをしたジュリア。映画を観終わったとたん、胸がスカッとしました。

自分の恋は許せても、恋人の裏切りと夫の浮気心は許せないというジュリアを演じたアネット・べネングという女優さんの笑顔のすばらしいこと。原作は、サマーセット・モーム。だそうです。
「リーピング」 ★★

怪奇現象におびえる人々を尻目に、現地を調査して科学で解明していくのは、元牧師であり今は大学教授のキャサリンです。ただならぬ現象にも、必ずもそれなりの原因があると信じています。果たして今回もそうでしょうか。川が本物の人間の血で真っ赤に染まることを皮切りに、かえるの異常発生、牛は原因不明の病気で次々倒れ、人々の間には腫れ物を流行り、いなごが大発生していきます。この怪奇現象は旧約聖書に書かれている10の災いとそっくりです。人々は、諸悪の根源は森に住む少女だと言い張ります。事態は科学で解明する問題ではなく、サタンを崇拝する宗教とキリスト教の問題だということに変わっていきます。サタンの化身の少女を、キャサリンが殺さなければこの災いを納めることができない、というのです。

宗教問題にすり変わった時点で、ついていけなくなりました。オカルト的な怖さも、平気になりました。ただ、事件が終わったはずの車の中で判明するできごとは、怖かったです。
「サン・ジャックへの道」★★★★☆

母親の遺産を相続するための条件として、三人兄妹に課せられたことは、フランスからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの1500キロの巡礼の旅することでした。仲の悪い三兄妹はいっしょに旅することに不服たらだらです。案内人を含む九人の二か月にわたる旅の物語です。

アルコールに溺れる者、薬漬けの者、失読症の少年、家族の問題を抱える者、欲の皮のつっぱた者……だれもが、どげとげした心で出発します。毎日、毎日、自然の中を歩いているうちに、余分な肩書きや虚栄心、世のしがらみ、人生のアクなどをみんな脱ぎ捨てて、自由な本来の姿になっていきます。薬から解き放たれていく人もいます。人にやさしくなっている自分に気がつく人も……。歩いてみたいです1500キロもの道。
「しゃべれどもしゃべれども」★★★☆

師匠の落語が大好きで、弟子入りしたものの、いつまでも二つ目のまま、うだつのあがらない落語家古今亭三つ葉が、ふとしたことから自宅で話し方教室を開くことになりました。相手は、うまく気持ちを伝えることができない若い女性と、関西弁が原因でいじめにあっている小学生。それに野球の元解説者。みんなやる気があるのかないのか、なかなかすんなりとはいきません。三つ葉自身、師匠のまねをするという枠からなかなか抜けられないのですが……。

関西弁しかしゃべられない小学生の「まんじゅうこわい」。それがまあ、枝雀さんそっくりで、なつかしかったです。東京の下町もよかったです。三つ葉のおばあさんは、もっといじわるそうな方が、最後の「ばあさん付き」が生きてくるかな。
「パイレーツ オブ カリビアン ワールド エンド」★★★★☆

この世とあの世の境がどこにあるのかわからないまま、そこでさまよっているジャック・スワロウ船長を助けに行くところから物語りは始まります。ジョニーディップ演じるジャック・スワロウは最高です。いいかげんさと、なげやりな態度。なよなよした身のこなしに奇怪なファッション。人のことより自分のことが大事。よくまあこんないいかげんな男のどこが船長なのかと不思議に思うのですが、いざというときにひらめく勘と戦いの腕前は、たいしたものなのです。

海賊を成敗して世界制覇を企んでいるベネット卿に挑むためには、9人の海賊の長が力を合わせなければなりませんが、それぞれくせのある強者。一筋縄ではいくわけがありません。物語がどうなっていくのか、わくわく、どきどき、あっという間の3時間でした。

おまけの楽しみは、キャプテンスワロウの父親も(母親まで)登場します。父親とファッションが同じというのはちょっとどうかと思いましたが、他にも、エリザベス・スワンと父親、ウィル・ターナーと父親、たこ男ジョーンズと恋人だったカリプソなど人とのつながりもおもしろかったです。ジョーンズの素顔もみることができました。
「眉山」★★★                                               

東京でばりばり働いている娘のもとに、徳島のおじから「母入院」の電話が入ります。すぐに病院にかけつけるのですが、母親が余命いくばくもない末期がんだとわかっても、すぐにはやさしくなれません。そのわけは、戸籍が空欄になったままの父について、少女の頃から母に何度きいても、「死んでしまった」といって、何も語ってくれないことがしこりとなって残っているのです。母は気丈で、なんでも自分ひとりで決めてしまうことから、娘は自分が母にとって必要のない存在に思えるのです。母親は自分の死後、献体することも娘に相談しないで決めていました。献体者は、解剖にあたる研修医にメッセージを書くことになっています。はげます言葉でも、俳句でも、何でもいいのですが……。

にぎやかにくり広げられる阿波踊りをバックに、静かに流れる人間模様。踊っているたくさんの人たちや観客たちも、きっと、それぞれの思いを引きずって生きているのでしょう。

娘役の松島菜々子は清楚で、はっとするほどきれいでした。が、着物姿は、母親役の宮本信子の方が数段素敵でした。                                       
「パッチギ Love &Peace」★★★

息子が、筋ジストロフィーだと診断され苦悩する兄アンソンと母親。アンソンの妹キョンジャは、医療費を捻出するために芸能界に入りました。やがて新人女優として主役に抜擢されたのですが、在日であるということを世間に隠すようにいわれます。キョンジャは、映画の中で特攻隊として出撃する恋人にいうセリフ、「お国のために……」に違和感を感じます。朝鮮人だった父が済州島で召集されたときに脱走したからこそ、自分が生まれて、今、ここにいるのです。恋人にいうセリフは、「無事に帰ってきて!」に変えてほしいと提案したのですが……。封切りの舞台挨拶に立ったキョンジャは、在日であることを告白します。

「生きぬくんだ、どんなことがあっても」がテーマだけあって、在日韓国人のバイタリティのある生き方が描かれています。が、未完感が残るのは、次作もありということなのでしょうか。
「俺は、君のためにこそ死にに行く」★★★★

鹿児島県知覧の町から、死を覚悟して、沖縄に向かい敵艦に突っ込んでいった若者たち。その若者たちからお母ちゃんと慕われていた町の食堂のおかみさんの物語です。トメさんは、たくさんの若者を見送りました。逆らえない時代の流れの中、自分の意思に関係なく、死んでいかなければならなかった若者たち。みんな生きていたかったにちがいありません。物資の少ない時代にできるかぎりのことをして見送ってやりたいと思うトメさん一家がそこにいてくれたことで、彼らはどんなに支えられたことでしょう。

エンディングは美しい自然の風景と海の映像で終わっていましたが、わたしの頭の中には、今の若者の姿がフラッシュしていました。巷で遊び呆けている、あるいは地べたにしゃがみ何かを食べ散らかしている、あるいは電車の中で化粧をしている……。自分の快楽がすべてで、あとは抜け殻になってしまった若者の姿です。あの時代がよかったなどとは決していいません。でも青春の真只中にいながら、ただ日本の国を守ることだけを考え、戦時下を駆けていった若者たちのおかげで今、自分が生かされているということに、気づいてほしいです。
「ツォツィ」★★★★

ツォツィが強奪した車の中に、赤ん坊が寝かされていました。おしめの替え方もわかりません。泣いている理由はもちろん、ミルクの飲ませ方すらわかりません。抱いてあやすることも知らず、紙袋の中に入れて持ち歩きます。が、その赤ん坊を通じて、ツォツィは、心の奥にしまいこんでいた大切なものを思い出します。親や家族の愛情こそが、子どもの心を豊か育てるのです。

恵まれた家庭に生まれた赤ん坊のことを、「銀のスプーンを握って生まれてきた」と表現することがあります。それからいえば、ツォツィ(不良)と呼ばれているこの少年の手には、さみしさと憎しみでまみれた刃が握られていたのでしょうか。赤ん坊は、自分が生まれてくるところを選ぶことができないのです。
「スパイダーマン3」★★★☆

子どもたちのあこがれでもある正義の味方のスパイダーマン。彼は決して人の道を踏み外したりしません。が、そんな彼にも憎しみが抑えきれない相手がいました。それはおじを殺した犯人でした。おじとスパイダーマンの関係は、このパート3しか観ていないわたしには、よくわかりませんが、どうやらかけがえのない存在だったようです。おばは、「復讐は憎しみを生むだけ」といっていさめますが、犯人が脱獄したと知って復讐の心をおさえることができません。そんな彼の心を見透かしたように彼は、いつしか黒いスパイダー服を身にまとっています。快感さえ感じるのですが、それは正義の衣装ではありませんでした。誤解から親友や恋人との仲もこじれ、さまざまな葛藤を抱えてしまったスパイダーマンは、自分自身を見失っていきます。「問題を解決にするには、いちばん難しいことから始めなさい。それは……、自分を許すことなのよ」と、おばがアドバイスします。

進むべき道はひとつしかありません。悪は滅び、やがてその道はきっと見つかるのです。スパイダーマンを心の中の悪と戦わせることで、子どもたちにもわかりやすいメッセージになっていました。スパイダーマンの軽妙な動きは、存分に楽しめました。
「クイーン」★★★                                            

父王の突然の死で、若くして王位を継承しなければならなかったエリザベス女王は、その日以来、国民のことを第一に、自分のことは後回しにしてきました。感情をうちに秘め、威厳を保つこと、それを国民が自分に求めていることだと信じてきました。交通事故で突然死したダイアナ元妃に対して、女王は、すでに王室を離れた者として扱おうとしたのですが、国民のダイアナへの思いは予想を超えていました。この辺りはドキュメンタリーになっています。窮地に陥った女王の一番の理解者が、保守派を破って当選したばかりの革新派(労働党)のブレア首相だったということも、おもしろかったです。伝統を重んじる王家ですら、時代に合わせていかなけばならないことを、女王はダイアナの死によって痛感しました。

それにしても、この映画は、王制に対して批判的な人々を抑えるためのものなのか、ブレア首相の人気を復活させるためなのか……。知りたい事実を伝えていたとは思われません。タイトルがクイーンなので、しかたがないのかも。少なくとも、女王一家の暮らしぶりはよくわかりました。それにしても、エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンの女王然としていたこと。
「バベル」★★★★

映画に登場してくる人々は、それぞれの葛藤を抱えながらも、精一杯生きているのです。にもかかわらず、見えない運命で操られていくのが人生なのでしょうか。不慮の出来事で冷めてしまった夫婦の絆を取り戻そうとモロッコでバスの旅の最中だったアメリカ人夫婦に降りかかる運命。モロッコで羊を飼いながらまじめに日々を送っている家族が、狼を追うライフルを手に入れたために降りかかる運命。慈しみ深い善意の塊のようなキシコ人乳母が、息子の結婚式に出席したために降りかかる運命。運命は、遠く離れた東京に住む日本人父娘をも巻き込んでいきます。母の自殺の瞬間を見た娘は耳が聞こえないこともあって、思春期をもてあましています。すべての人々が意識しないままに、過酷な運命に翻弄されていくのです。
「ラブソングができるまで」★★★★

80年代に一世を風靡していたポップ歌手アレックスは、今はドサ回りの身の上。ひょんなことからスーパースターのカリスマ歌姫コーラーから曲の依頼がきます。が、いい歌詞を思いつきません。歌詞がなければ曲が浮かばないのです。たまたま植木の水遣りのバイトに来たソフィーが口ずさんだフレーズに、アレックスはひらめきを感じます。ぜひ詩を書いてほしいと頼むのですが、ソフィーは頑なに拒みます。というのは、ソフィーには、ペンを持てなくなった忘れられない苦い思い出があるのです……。やっとの思いでできあがったふたりで書いた歌を、コーラーは自分で編曲してしまいます。創作の苦悩や、依頼者へどこまで迎合すべきか、小説のモデル問題など、書き手にとっては深刻な問題が軽やかなコメディタッチで描かれています。
「東京タワー」★★★

サブタイトルにも書かれているように、「おかんとぼくと、ときどきおとん」の物語です。家を出て行った風来坊のおとんは当てにならず、ぼくのはおかんの手で育てられます。目指す大学に入ったものの、遊びほうけていて留年になったぼくを、経済的に応援してくれたのは、飲み屋で働いているおかんでした。おとんの存在は、本の方が面白く描かれていました。末期がんのおかんを看取るまでの物語の中にも、ロッキーと同じテーマ、「人生はばら色ばかりではない。自分を信じろ。叶わない夢はない」というメッセージが流れていました。オダギリ・ジョーは、ぴったりの役どころでした。
「ロッキー・ザ・ファイナル」★★★★☆

かってのチャンピオンロッキーは、町のイタリアンレストランの経営者として成功しています。でも、心の奥に燃え尽きていないものが残っています。先立った妻への想いは、空しさとなって膨らんでいくばかりです。ひとり息子はサラリーマンになったものの、父の存在の重さにつぶされそうになっていて、ロッキーを避けようとしています。ロッキーは、そんな息子にいいます。「人のせいにするな。人生はばら色ばかりではない。自分を信じろ。叶わない夢はない」。ロッキーは、再びリングにあがることで、その言葉を証明しようとします。対決相手は、敗戦知らずのチャンピオンです。ピークをすぎたロッキーには過酷な相手ですが、胸の中のもやもやをすべてを吐き出してしまうには、リングに上がり戦うしかないのです。亡き妻の兄も魅力的な存在でした。物語の最後が妻の墓参というのが、物足りませんでした。リトルマリーとロッキーがお互いに支え合えるいい関係でありまうように……。
「パリ・ジュテーム」★★★                                       

パリの20区で起こるショートストーリーの20連発です。いわば乱射。小気味よくストーリーが展開していくものもあれば、街角スケッチといった軽い感じのものや、問題を提議しただけで解決しないまま次の物語に移っていくものもあります。夫婦や親子、恋人、ドラッグ、通り魔、ドラキュラ、パントマイム、地下鉄……。監督がそれぞれ違うので、20の物語は、舞台がパリという共通点はあるのですが、ばらばらで関連性はありません。そこが物足りないかなあ。最後に20の物語に出てくる人たちに行きずりでもかかわりがあれば、一層面白いのにと思いました。
「ママが遺したラブソング」★★★★

祖母の元で育った少女は母の愛情に餓えていました。母が自分を捨てたものだと恨んでさえいました。学校にも行かず、恋人とトレーラーハウスで自堕落な生活をしていたのですが、母が亡くなったという訃報が届き駆けつけます。すぐに恋人が知らせてくれなかったので、葬儀はもう終わったあとでした。歌手だった母の遺言で、母の友人だという飲んだくれの2人の男と、母の家で同居が始まります。頑なな少女と飲んだくれたち(こともあろうに中年は元教授、青年はは作家志望)は事あるごとに口論になります。少女は、幼い頃の母との思い出を語ってくれる人はいなかったので、自分の中で空想して嘘の思い出を作り上げていました。自分以外の人が懐かしそうに母のことを話すのに腹を立てます。が少女の幼い頃を語ってくれる人が現れたのです。少女の頑なな心が少しずつ解かれ、生き方を見つけるまでの物語です。この映画には、たくさんの作家が遺した珠玉の名言が次々語られていきます。それも見どころです。
「ブラック・ブック」★★★★

映画の初めに、「事実に着想をえた物語」というテロップが流れました。ナチス占領下のオランダから南部へ逃亡する途中、ドイツ軍により家族を殺されてしまったラヘルは、エリスと名を変え、髪をブロンドに染めレジスタンス運動に参加します。歌手でもある彼女はその美貌を武器にスパイとしてドイツ人将校ムンツェに近づいていくのですが、彼の優しさに触れ、次第にムンツェを愛するようになってしまいます。エリスは、レジスタンスの指示により盗聴器を仕掛けます。収容されている仲間を救出する計画は、内通者の存在により返り討ちにあってしまいます。一体誰が内通者なのか……。巧妙な罠にはめられ、エリスもムンツェも裏切り者とされてしまうのです。裏切り、裏切り、裏切り……。弁護士が持っていた一冊の手帳ですべてがわかります。
「プロジェクトBB」★★★★

「盗めども非道はせず」がモットーの三人組の泥棒がいます。ジャッキー・チェン扮するサンダルは稼いだお金まギャンブルに使い果たして借金地獄。相棒のフリーパスは、けなげな妻をなえがしろにして女狂いばかり。年長でリーダーの大家さんは老後のために貯めた大金を、こともあろうに空き巣に盗まれてしまいます。やむを得ず三人は、赤ちゃん誘拐という非道の仕事を引き受けることになるのです。この赤ちゃんのかわいいこと♪ 観ているだけでメロメロになります。アクションとユーモア。家族愛も描かれています。フリーパス役のルイス・クーも、めちゃかっこいいのです。エンドロールのNG集を見て、吹き替えなしでがんばっているジャッキー・チェンは、すごいと思いました。赤ちゃんがジャッキーのおっぱいを吸うシーンがあります。おいしそうにしゃぶりつく赤ちゃん。その謎がNG集に。「くすぐたい」とジャッキーは悲鳴!
「オール・ザ・キングス・メン」★★★

ウイリーが、小学校の建設に伴う不正を摘発してもだれも耳を貸してくれません。摘発が原因で失業して日用雑貨のセールスをしているときに、ルイジアナ州の知事になれと勧められます。不正で建てた学校が壊れて児童が巻き添えになったので、君こそとおだてられるのですが、実は、対立候補に票がいかないための当て馬だったのです。それを知ったウイリーは逆手にとった演説をぶちかまし(まさにそんな感じ)、当選します。貧しい人々を支援し、道路や学校、病院などを次々作っていくのですが、いつしか自分が嫌っていた汚職や愛人などにも手を出していくのです。自分で自分の首を絞めたといえばそれまでですが、あれほど弱者の味方で、強引なまでのやり方で時期大統領候補といわれるところまでのぼりつめていたのに、つまらぬ嫉妬で……、なんとも悲しい結末です。
「ブラッド・ダイアモンド」★★★★       30                          

ダイアモンドの発掘地であるシエラレオネの人々は、ダイアの採掘のために酷使されているのですが、採掘したダイヤは反政府ゲリラの資金源として密売人を介して売られています。のみならず暴徒化した反政府ゲリラは次々村を襲い、手当たりしだい村人を虐殺し、あるいは腕を切り落とし、捕まえた子どもたちを麻薬を使って殺人兵士に仕立て上げていくのです。家族と幸せに暮らしていた漁師のソロモンは、村を襲ってきたゲリラに捕らえられ、ダイアを採掘を強要されます。採掘中、ピンクの大きなダイアモンドを見つけたソロモンは、土の中に隠します。そのダイアの存在を知った密売人のダニーと、正義に燃えている女性記者の織り成す物語です。目を覆いたくなるシーンも多々ありますが、最後は心地よい感動が走ります。それにしても、ダイアモンドの価格を吊り上げるための流通は、今も存在するとか……。時々わたしの指を飾っている貧弱なダイアの粒も、多くの人を苦しめてきたのでしょうか……。                  
「フランシスコの二人の息子」★★★★★

ブラジルの貧しい片田舎で農作業に明け暮れる子沢山のフランシスコの楽しみは、ラジオから流れてくる音楽だけでした。女房の父親から借りている土地代も払えないのに、フランシスコは、収穫した農作物やチーズ子豚、親の形見のピストルと引き換えに、ふたりの息子にアコーデオンとギターを買い与えます。村の人たちは、イカレテしまったと噂します。追い出されるように村を出て行った先には、なんとかなるだろうどころか、もっと上回る貧困が待っていました。二人の息子は見よう見まねで、今で言う路上ライブを始めます。レコードが2200万枚も売れる歌手になるまでの実話の映画化です。「ドリームガールズ」と同じように栄光への物語ですが、こちらは、貧しい暮らしぶりが村や町の風景とともに描かれているので、物語によりそって観る事ができました。

子育てにどれだけお金がかかるかなどつまらないことを考えずに、大らかに子どもを生めるだけ生んで、精一杯育てて、巣立っていく子どもをだまって送り出す。そんな母親をたたえた歌が、心に沁みます。ラストには、ほんもののライブの映像と家族の姿も。「フランシスコの二人の息子」というより、「フランシスコという二人の息子の父親」というタイトルの方がふさわしいかも。
「善き人のためのソナタ」★★★★★

1984年、反体制的であると疑われる人物は作家たちは政府の監視下におかれていました。人気劇作家ドライマンのアパートには、盗聴器か仕掛けられていて、すべてが監視されているのですが、むろん本人は知りません。盗聴しているのは、国家保安省のヴィースラー大尉。最初のうちは、なんとか摘発の証拠を握ろうとしているのですが、聞こえてくるのは自由の息吹ばかり。国家に背くものは誰をも許すまいというヴィースラーの射抜くような眼光が、ストーリーの展開とともに憂いに満ちた瞳に変わっていく過程がたまらなくいいです。ベルリンの壁崩壊の数年後、ドライマンの新刊が出ます。扉には、「この本を、HGW XX/7に捧げる」と書かれています。HGW XX/7とは……。同じ頃のドイツを描いた「白バラ」は、いつまでも辛い思いが残りましたが、この映画は観終わったあと、癒される思いがしました。心はだれのものでもなく自分のものでありたいです。
「子宮の記憶」★★★☆
生まれたばかりの頃に産院から誘拐されたことがある少年は、金持ちの両親に反発して育ちます。いつしか、少年の心の中には誘拐されていたひと月だけが愛情に満ちた期間だったという強い思いに囚われてしまいます。家庭内暴力を繰り返したあげく、大金を持ち出し、沖縄に住んでいる誘拐犯を訪ねていくのです。少年は、誘拐犯だった女性(愛子)に会い、とてもやさしい気持ちになります。しかし……、と、わたしは思ってしまうのです。もし、仮に誘拐が成功して、愛子が少年を育てていたらどうなっていたのでしょうか。お金持ちの坊ちゃんだからこそできた究極のきまぐれだと思うと、少々腹が立ってきました。だってその間に、実の母親は……。
「デジャブ」★★★★★
大型フェリーが何者かに爆破されます。何のために、だれが……。折も折、不審な遺体が河からあがりました。被害者の女性(クレア)の部屋には、手袋をはめていたにもかかわらずダグ(特別捜査員)の指紋がべたっり残っていることが後日わかります。u can save her と書かれた磁石文字はだれが? クレアの部屋に残された血だらけの布。留守電のメッセージ。浜辺の家に突っ込んだ救急車……。ラストに最初と全く同じシーンが再現されて、それぞれのシーンに意味があったことがわかり、ストンと胸のつかえが降りていきます。快感です。しかし、すでに起こった事件を過去に戻りくい止めることができた場合、現実はどうなるのでしょう。ミシシッピー川にできた支流がやがて本流になり、元の流れは忘れ去られていく……。うーん……。予告編でイメージしていたものとは違っていたのですが、とても面白い映画でした。
「ホリデー」★★★★☆                                          25

恋人に裏切られたロンドンに住むアイリスが、同じように恋人に裏切られたロスに住むアマンダと休暇の間、家を交換して環境を変えることで、傷心を癒すことになりました。違いすぎる環境に面食らいながらも、そこで、それぞれがかけがえのない人に出会うのがメインの物語なのですが、アマンダの家のお隣さんとして、今はすっかり老いぼれてしまった映画脚本家が出てくるのですが、そのサブストーリーがあるので、ただの恋愛映画だけで終わっていないところが、わたしは好きでした。物語の流れも、音楽も、風景もとても快くて、映画を観ているということを忘れていました。「子ども部屋のテント」、「ナフキンマン」は観た時のお楽しみ。ほほえましく、暖かいシーンです。
「アンフェアー」★★★

警視総監が入院中の病院が乗っ取られます。主犯は映画半ばにわかるのですが、警察の中に犯人と通じているものがいて、それがだれなのか……。みんなあやしいのです。後半、なんだこいつか、と意外な展開になったと思ったところ、ただ操られていただけで、真犯人は別にいて、そういうことかと思っていたら、実はまだどんでん返しがあって……。ストーリー的に楽しむことができました。でも、せっかくのサットもだだだだだーっと現れて、ババババーンと音がしたかと思うと、打たれて死んでいるのがわかる。警察本部も緊急だというのに雁首そろえて座っているだけ。警察内部の描き方は、なんたって「踊る走査線」がぴか一。全体的には、劇画をみているような感じがしました。
「ニキフォル 知られざる天才画家」★★★★ 

冬の景色がとても美しいポーランドの物語です。ニキフォルは、観光客に売るために、毎日三枚の絵をずっと書き続けてきました。晩年、やっとその絵がみとめられるのですが、彼の生い立ちについては、だれも知りません。どうやら母親は水汲み女で、しゃべることができなかったことまではわかるのですが、父親はわかりません。みんなから厄介者扱いをされながら、ひたすら絵を描くことしか知らないままに、がんこに年老い、重い結核にかかっていました。大きな美術館で展覧会が開かれ、世間がもてはやしすようになっても、彼の価値観は変わりません。生活の糧を得るために、観光客相手に絵を描きたいだけなのです。生涯で4万枚の絵を描いたそうです。彼の才能を支えた画家dめおある男性と、それにふりまわされることになった家族も描かれています。

スクリーンにニキフォルが写ったとき、一瞬、映像が残っていたのかと思いました。それほどニキフォルを演じた俳優の存在感がすごかったのです。が、驚きです。男性であるニキフォルを演じていたのが、86歳の女優だっただなんて。これだけでも観る価値があります。
「さくらん」★★★

満開の桜並木をくぐって遊郭に売られた少女は、遊郭の門をくぐれば桜の木がないことを知ってがっかりします。枯れてしまった桜の老木を見ながら、(いつかここから自力で出て、桜を見る)そう自分に言い聞かせています。土屋アンナの扮するモダンなおいらんと、極めて鮮やかな色彩は、外国人が見た日本のようでした。どの愛が本物の愛なのか……。おいらんがキセルをふかせているシーンが頻繁に出てきましたが、たしか、キセルは、客に吸わせるためのもので、おいらんはそのために火をつけるだけだのはずです。また、映画には描かれていませんでしたが、おいらんは見目麗しいだけではなく、何事にも秀でていたときいています。快楽だけしか描かれていなかったのが残念でした。京都は鷹が峰にある常照寺は名妓といわれた吉原の吉野太夫のゆかりのお寺です。毎年4月の第3日曜日には、映画に出てきたように、太夫のおねりがあります。
「ナイト・ミュージアム」★★★

自然史博物館の中に展示されているもののすべてが、夜になると好き勝手に動き出す……。こんな体験ができるのは、ふつう、子どもだと相場が決まっています。子どもには体験できても大人にはできない。それがファンタジーというものです。ところがこの映画は、あべこべです。大人のためのファンタジーというか、何をやってもうまくいかないだめ父さんへのエール物語です。博物館の夜警の仕事についたラリーが、父親として子どもに尊敬されるまでの冒険ファンタジーです。それにして、展示物の自由奔放で手に負えないことったら。わたしがラリーなら、一生だめ父さんのままだったかも。 
「パフューム」★★☆                                           

18世紀のパリの街は悪臭に満ち満ちていたそうで、金持ちたちの間では香水がもてはやされていました。ごたごたした汚い町の市場で魚をさばいている女が、仕事中赤ん坊を生み落とします。赤ん坊は、魚の臓物といっしょに捨てられてしまうのですが、奇跡にも生き延びることになり、天才的調香士といわれるまでになりました。香水の基本は13種類の香りを混ぜるのだと師に教わります。12まではわかるが、最後の1つが師でもわからないというのです。その香りを求めて旅に出た若者が突き詰めた香りというのが……。親に捨てられ、愛情を知らないで育った若者が初めて好意を持った乙女の愛し方がわからなかった。その匂いを留めておきたいという願望がどんどんエスカレートしていって……。なんともおぞましい物語です。
「ボビー」★★★

ボビーことロバート・ケネディが暗殺されたのは1968年だいうことは、今からもう40年も前。ケネディ大統領が暗殺されたのは、もっと前になるのかと(1963年)驚きました。オープンカーの上でジャックリーヌ夫人が「オウ・ノウ」と叫んだことが、ついこの間のように思い出されるのに……。

ボビーの暗殺現場となったアンバーサダホテルに居合わせた22人の客や従業員などのさまざまなドラマを描きつつ、物語は進んでいきます。そういえば、「有頂天ホテル」もこんな感じでしたっけ。違うのは、こちらはボビー暗殺という、いわばドキュメンタリーだということです。ボビーの映像と演説もうまく組み入れてあり、若き大統領候補であったロバート・ケネディにアメリカの人々が希望を託していたのがよくわかります。もし、彼が大統領になっていたら……。自分の人生を振り返って、「もし、あのとき」と思うことはいくつもありますが、わたしの人生の「もし」が、世界を変える「もし」につながることはありえません。でも、ボビーの場合、大きく影響されたことでしょう。彼の演説の中にもありました。暴力では何も解決しないのです。いつの場合も、かけがえのないものを失うだけです。
「ベルリン・天使の歌」フランス★★★

ぼくは子どもだった頃、、魂はひとつしかないと信じていた……。冒頭に男声でフランス語で朗読される詩は、まるで音楽を聞いているようでした。コートを着た中年の男性ダミアンとカシエルが天使という不思議な設定で物語は始まります。二人の天使の役目は、眼下に広がるベルリンの街の人々のさまざまな心の声を聞き、見守っているだけ。助けるわけでもなくただ耳を傾け、つぶやきを集めているだけ。ある時、ダミアンが、サーカスの空中ブランコ乗りマリオンに恋をしてしまい、 天使という役目をこなしている自分に疑問をもち始めます。

そんな時に、ベルリンに刑事コロンボのロケに来ている俳優ピーター・フォークと出会うのです。ダミアンは、大人に見えるはずのない天使なのですが、ピーター・フォークには見えているようです。そう、実は彼もかつては天使だったとのことです。ここが実に面白いと思いました。

図書館にいる老人が、「不死の詩人ホメロスは生きる」 という事をダミアンに教えてくれます。冒頭にみならず、映画の中で何回も詩を口ずさんでいたのはダミアン。恋した彼は、とうとう地に足をつけました。ここからモノクロがカラーに変わり、彼が人間になったことがわかります。
「赤い鯨と白い蛇」★★★☆

香川京子演じるおばあちゃんは、老人性の物忘れも始まり、不安な思いで、老後を長男の家で過ごすべく、孫娘に連れられて千倉に向かいます。途中で、子どもの頃過ごした館山に寄りたいといいます。子どもの頃といっても60年も前のことなので、家はあるかどうか……。古い茅葺のその家は、もうすぐ壊されるという運命の元、そっくり昔のまま残っていました。ここに泊まらせてもらうことになり、昔、ある人とした約束が蘇っていきます。孫娘の恋愛の行く末、今、この家の持ち主である母子の葛藤、前にここに住んでいたという健康食品のセールスをしている女性の悩みを絡ませつつ、物語は展開していきます。

おもしろいなあと思ったのは、物語の上では、おばあちゃん、孫娘、家主の母子、健康食品のセールスの女性とかかわる大切な役どころとして男性は何人も出てくるのですが、画面にはひとりも出てきません。でもしっかり存在感はありました。うまいです。それに、家財がすべて運び出されただだっ広い古い家屋が、よかったです。

監督のせんぼんよしこさんは、長年、いろいろな作品の演出をてがけてこられたのですが、監督としてはこれが1本目だそうです。78歳で監督デビュー♪ うれしくなってきます。特攻隊の潜水艦が夕日に照らされて赤い鯨に見えたという証言と、昔は、どこの家にも白い蛇が家守りとしていたという言い伝えをモチーフに生まれた作品だそうです。うーん……、勉強になります。
「ドリームガールズ」★★☆

アカデミー賞最多8部門ノミネートということでしたが、それだけのことはあるかなと思う反面、なにせ出演者全員歌唱力抜群なので、その大迫力は、ベストコンディションで観にいかないとかなりこたえました。アメリカという国は、ショービジネスの世界でも化け物です。ローカルでベスト入りしても、中央に行くまでバトルがあって、そのかけひきは、仲間といえども気が許せません。いかに自分らしく生きるかを問う作品でした。ディナー役のビヨンセ・ノウルズがなんとも美しく、物語りも起伏に富んではいたのですが、ミュージカルはミュージカル。楽しめばいいので、それ以上を求めてはいけないのかも。
「あなたになら言える秘密のこと」★★★★  ★(サイトに★1)               

わたしがこのコーナーに感想を書き込む前に、必ず映画のサイトを見ます。というのも、すでにそこに書かれていることはできるだけ書きたくないからです。わたしなりの違った切り口で紹介したい。いつもそう思ってきました。「あなたになら言える秘密のこと」のサイトをクリックして、わたしは、これ以上、何も書けないと思いました。これほどうまく書かれたサイトに初めて出会いました。映画もさることながら、このサイトには感動です。ぜひクリックして、隅々までご覧ください。ストーリーをわかりやすくていねいに紹介しています。物語のキィポイントについてもごまかすことなく、でも秘密は秘密のままうまく扱っています。サイトは、えてして知りたい肝心のところだけ書かれていないことがあるものなのですが。★5の1つはサイトに。

それにしても、石油掘削所というところはなんと不思議な空間なんでしょう。きっと、宇宙飛行士が宇宙船に乗っていて感じたであろう宇宙ってこんな感じだったのではないでしょうか。限られた資源を掘削しているステーションに、無限を感じました。登場人物はすべて魅力的だったのですが、特に、ジョセフ役の男優さんが素敵でした。大やけどを負って失明状態でベッドに寝たままなのですが名演技でした。背負っているものの深さと人間としてのふところの深さを感じました。人間、どんなときにもユーモアを忘れない。そんな人手ありたいものです。
「不都合な真実」(アメリカ)★★★★

とても怖い映画でした。このままでは温暖化が進み、地球は滅んでしまいます。ゴア元アメリカ大統領候補が、地球の危機を最初から最後まで自ら語っています。地球の危機を救うための特効薬はありません。ひとりひとりが、CO2を減らすために地道に努力することしかないのです。まずは、この映画をぜひ観て実感してみることが第一歩です。わたしができること、それはなるだけ車に乗らないで歩くことです。それにお風呂。腰痛防止のため一日何回も入っていたのですが、減らします。それに省エネ。無駄な電気を極力消すようにします。ひとり努力はわずかでも、地球全体となると効果がでるように思います。
「墨攻」(香港)★★★★☆

戦乱の中国に攻撃はかけないが、攻撃から守るための戦いに、乞われれば作戦を立て加勢するプロたちがいました。墨家の一族です。ビッグコミックに、革離という1人の墨家を主人公に描いた森秀樹作のコミックが連載されていたそうです(1992年〜96年)。それを香港の監督が映画に撮ったものがこの映画なんですって。俳優さんたちはみんなよかったです。中でも革離を演じたアンディ・ラウは魅力的でした。逸悦役の女優さんがきれい……。

落城寸前の城にでかけ、攻撃してくる10万の敵を革離の立てた作戦で撤廃させるというのです。そんな作戦があるのでしょうか。最初から最後まで戦いのシーンばかりですが、その中に愛があり、いくつもの感動がありました。革離は、戦いながらも「兼愛」を説き、むだな人殺しを諌めていきます。が……。

戦いが終わり、城から出て行く小さな女の子の耳によみがえるお姉ちゃんの言葉。「ここに隠れているのよ。お姉ちゃんが外で見張っててあげるからね」。きょうだい愛がせつなくて、胸が張りさけそうでした。革離がその子の手をつないでいる……。逸悦はいない……。
「幸せの力」(アメリカ)★★★★

悪いときには悪いことが重なっていくものです。投資した医療機械が売れないため、妻に逃げられ、アパートを追い出され、駐車違反で車は持って行かれ、文無しになり、夜は救世軍のベッドに寝て、最後は血液まで売る……。証券マンになりたいと願うのですが、6か月もの無料研修期間を終えても、社員に選ばれるのはたったひとり。願う力。めげない力。発想力。息子を愛する力。ユーモアの力。数字に強い知力。人並みはずれた体力。最後まであきらめない精神力。彼の持っているすべての力が幸せの道につながっていくのです。

これは実話で、彼、クリス・ガードナーは自分の証券会社を立ち上げ億万長者になったそうです。
「イカとクジラ」(アメリカ)★★☆

父親は、かっては脚光を浴びた作家なのですが、今はスランプ状態です。反対に母親は、今が旬、上昇中の作家です。お互いに自己主張の強い二人が別れることになり、二人の息子は、双方の家を行ったり来たりすることになります。高校生の長男は、父親から文学論を吹き込まれ、その影響を悪い方向に受けています。小学生の次男は、母親から自分と関係あった男たちのことをすべて話され、その早熟ぶりで問題を起こしています。親としてより個としての生き方を選んだ父と母。その犠牲となった子どもたち。

「イカとクジラ」という抽象的なタイトルは……。母親が自分のほうを向いていてくれた幸せだった長男の少年時代の象徴とでもいえばいいのでしょうか。もう元には戻れない、空しさを感じます。

「ヘンダーソン夫人の贈り物」(イギリス)★★★★                        

莫大な遺産を引き継いだヘンダーソン夫人は、売りに出ていた劇場を買います。一時は人気を呼んだのですが、やがて経営不振になり、ヌードレヴューを企画するのですが、ヌードなんてとんでもないと許可がおりません。なんでも思いとおりにしなければ気のすまないヘンダーソン夫人は、めげてなんかいません。交渉の末、許可をとります。気が強くて好奇心満々のヘンダーソン夫人に対して、輪をかけてがんこなのが、劇場の運営を任されたヴァンダム。口うるさい夫人に劇場立ち入りを禁止します。二人の丁々発止のやりとりが絶妙です。戦争が激しくなり、劇場封鎖の指令がでます。さて夫人はこの場をどう乗りきるのでしょうか。実話ときいて、すっかり夫人のフアンになりました。1944年ヘンダーソン夫人没。
「マリーアントワネット」★★★☆

マリーアントワネットがオーストリアからフランスに同盟の証として嫁いでいった時は、わずか14歳だったのですねえ。引継ぎ小屋で、オーストリアから送ってきた人たちと別れ、好奇の目にさらされながら、身一つで嫁いでいったのですから立派なものです。宮殿の中は、うわさと変なしきたりばかり。オーストリア女とさげすまれ、夫はよそよそしい。お世継ぎができないのはあなたのせいだと母親から手紙が届くのも、子どもができなければ、娘をフランスに嫁がせた意味がないからです。が、お相手のルイはまだ15歳。狩に夢中で、彼女に関心を示しません。そんな中で彼女ができることは、取り巻きの連中とギャンブルをし、夜会に出かけ、おしゃれをすることだけです。

19歳でルイが王位を継ぎ、マリーアントワネットは18歳で王妃になります。母となったことで慈しみが芽生え、いい夫婦関係が出来上がっていった矢先、政治に対する民衆の憤りの矛先が……。
「武士の一分(日本) ★★★★★

二回見ました。最初は、(キムタクが主演ならかんべんしてよ)という感じだったのですが、友人からのメールに、「想像を裏切ってとてもいい映画だった」と書かれていたので、観ておかねばと思いました。

毒見役で盲目になった下級武士に、テレビで見かけるキムタクの面影はありませんでした。スクリーンに映っているのは、三村新之丞そのものでした。お見事! 妻の加世役の壇れいのうつくしさに見とれてしまいました。中間(ちゅうげん)役の徳兵衛(笹野高史)の存在もよかったです。敵役の坂東三津五郎も、口うるさいおば役の桃井かおりもはまり役でした。

一汁一菜。つつましくも折り目正しい暮らしぶりに、また日本語の響きに、家屋や庭の風情に忘れていた日本の良さを感じ、とても快かったです。最後、どっと泣きました。藤沢周平原作・山田洋次監督。ほんと、いい映画でした。

再度観たくなって、観にいきました。二回目は、ストーリーだけを追っていた一回目とは違って、新たに気づくところがあって、楽しめました。最後はやはり泣きました。心地よい涙でした。
「モンスターハウス」(アメリカ) ★★★★

向かいの家がお化け屋敷だったら。それもとびっきり怖い……。しかも、大人に救いを求めてもだれも信じてくれないのです。ごくごく普通の子どもたちだけで、モンスターハウスに挑むのですが、本気で怖かったです。物語には意外な展開があって、心温まる人間ドラマになっていました。アニメのキャラクターは少しもかわいくないのですが、表情がなんともよかったです。日本語版というのが残念だったのですが、吹き替えの声に違和感ありませんでした。「ホーム・アローン」を連想させました。
「ラッキーナンバー7」(アメリカ)  ★★★

やみくもに次々起こる殺人。それが絡み合って最後に思いがけない結末で謎が解ける、というキャッチフレーズにひかれたのですが、ほんとうに意外な結末でした。観客を騙し、よく最後まで引っ張ってきたものです。天晴れかな。目には目をで情け容赦のない殺人の連続なのですが、ラストシーンに、ふと暖かいものが流れました。とはいえ、すべては、一攫千金を夢見て八百長情報に目がくらみ大金を借金してまで競馬に行ったことから始まっています。だれを責めるべきか……。果たして、主人公はこれで幸せになれるのでしょうか……。
「無花果の顔」(日本) ★                                        

桃井かおりの脚本・監督・出演映画です。娘(山田花子)の視点で描かれているそうなのですが、うーん……。個性的な母親(桃井かおり)がひとりではしゃいでいるようでした。山田花子がテレビで、「台本があってない状態で、こうこうこういうシーンなので、セリフは自分で考えて」とか、「ここは思いっきり走ってといわれた」といっていましたが、そのせいか、桃井かおりや石倉三郎のセリフには味があるのですが、全体にちぐはぐなパッチワークという感じがしました。たびたび映る無花果の樹もわざとらしい存在でした。桃井かおりの思い込み……。母親役は、ご本人ではなくてほかの人にするべきだったかも。たとえば清水みち子とか。いえ、桃井かおりならではのいい雰囲気は出ていました。やはり、母親役は桃井かおりだとすれば……。エンディング、面白かったです。
「リトル・ミス・サンシャイン(アメリカ) ★★★★

仕事がうまくいかない夫といらつく妻はいつもけんかばかり。一言も口を利かなくなった受験生の息子と、ミスコンで優勝するのが夢の小さな娘オリーブ。ヘロイン中毒で老人ホームを追い出されたおじいちゃんと、男性との恋に失恋したため自殺未遂を起こした学者のおじさん。この6人が小型バスに乗ってオリーブの夢をかなえるために何日もかけてミスコン決勝会場に出かけることになるのですが、道中、問題が起こらないわけがありません。アメリカ人の価値観・システムなどもわかり、面白かったです。

オリーブは、おじいちゃんに教えてもらったダンスを披露することになっています。不安になる孫娘におじいちゃんは言います。「負け犬というのは、結果をいうのではなくて、負けるとわかって勝負を放棄する人のことをいうのだ」と。また、「幸せな人生は何も残さない。苦労して波乱万丈な人生こそ、その人を豊かにする」とも。まさに……! 小さな子どものミスコンに対しての批判もばっちり感じました。
「王の男」(韓国) ★★★★

王を風刺した芸を道端で披露して庶民から喝采をあびていた芸人の一行が捕まってしまうのですが、それをきっかけに宮廷のお抱え芸人になり、腐りきった宮廷の内情をあばいていくことになります。ところが哀しくも……。芸人魂・プラトニックな愛が心に響く物語です。綱の上の芸、お見事です。
「エラゴン」(アメリカ) ★★

ドラゴンダイラーと呼ぶにはまだまだ未熟な少年が周りの知恵あるものに助けられて成長しつつ目的を果たすという物語ですが、魔術を使う悪者の設定なども指輪物語やハリーポッターにどことなく似ているように思いました。目的を果たし、これで終わりだと思ったのですが、最後の1シーン(黒い爪をした手が剣を抜く)で、続編があるのだと気がつきました。そういえば、兄弟のように育てられたいとこが、トップシーンで自分探しの旅に出かけたままだった……。
「シャーロットの贈り物」(アメリカ) ★★★                              

子ぶたの愛おしいことといったら。表情・動きをどう撮っているのでしょうか? 馬や羊たちなどほかの動物についても然りです。それに、子ぶたの声のかわゆいこと♪ ハムになりたくない子ぶたに、「わたしが守ってあげる」と言い切る蜘蛛のシャーロットのような大人が、人間の子どもたちのまわりにもいてくれたら、と願わずにいられません。字幕版ということもあるのでしょが、観客がすべて大人というのが、おかしかったです。しかも、ほとんどの人がハンカチを出して鼻をぐずぐずいわせていました。「さいこう」「ぴかぴか」「ひかえめ」。子どもたちに観せてあげたい感動の物語でした。